よく通る声は、俊輔の目覚めを世界中に報告する勢いだ。
(お客様? ここってホテル? んん? 姫さま??)
俊輔を混乱させる声は、ひとしきり屋敷中に響き渡ると、数分もせずに戻ってきた。
開かれたままのドアを、先ほどの女性がくぐり抜ける。
「いま、姫さまが……。先生がいらっしゃいますからね」
ひまわりを思わせる笑顔。俊輔は、彼女の服装に少し面食らいながらも、天女が雲の上を行くような軽やかな足取りから目が離せなかった。
(先生って、結局病院ってこと? でもこの人、メイドさん……だよなあ?)
美しい彼女の服装は、やはりメイド服だった。それも当世流行りのロリータ風とは異なり、どこか時代を感じさせる黒を基調としたロング丈。襟と袖の白いカラーと、腰部から太ももあたりにかけてミニ丈の白いエプロンが着けられているほかは、華美な装飾は見られない。だからこそ大きな胸元や女性らしい腰部のラインが、目のやり場にも困るほど強調されていた。
胸元まであるウェーブのかかった髪だけが、今風に茶色に染められていた。
小柄ながらスラリとした身体つきと、美少女アイドルさながらの美貌が、エレガントな雰囲気溢れるメイド服とベストマッチなのだ。
「お熱はありませんかぁ?」
やや舌足らずに尋ねながらベッドの傍らに辿りついた彼女は、何のてらいもなく俊輔の額に手をあてる。その病人を看なれた様子は、ナースのようだ。
「うん。大丈夫みたい。もうすっかり平熱ですね」
彼女の言葉に力を得て、俊輔はベッドの上に起きあがろうと試みた。倦怠感が消えたわけではないが、助けられておいて熱もないのに寝そべったままなのは申し訳ない。けれど、やはり力が入らないばかりか、くらくら目の前が回り出した。
持ち上げかけた俊輔の頭を、彼女はやさしく抱き抱えてくれた。
「まあ、無理をなさらないで……。三日寝たままだったのですよ」
やさしく枕の上に頭を戻してくれると、ベッド脇に置かれた洗面器の中でタオルを絞り、かいがいしくも額に浮いた汗を拭き取ってくれた。
「三日? 三日もですか?」
力が入らないのも当然だ。三日も寝たままであれば、体力も底を尽きかけている。
「でも、運がよろしいのですね。あの崖から転落して、骨折で済んだのですから……」
奇跡を見るような彼女の目は、よほど高い崖から落ちたらしいことを告げている。
ようやく自分の体の状況を把握できたにしても、まだ判らないことだらけだ。
「あの?」
身を横たえたまま俊輔は、疑問符を彼女に投げかけた。
「えっ? あ、失礼いたしました。わたくし、足立千夏と申します」
丁寧にお辞儀をしながらも、なおも千夏は俊輔の顔を拭ってくれている。
「あ、僕、木部俊輔です……。すみません、あの足立さんって、ここの?」
「ああ、わたくし、当、蓮杖家でメイド兼看護師を務めております。姫さまに憧れて、メイドをしながら看護師の真似ごとを……。本物のナースではないので、この格好」
うれしそうに姫さまの話をする千夏。どうやらこの家の主のことらしい。
「じゃあ、その姫さまが僕を助けてくれたのですか?」
「うーん。そうとも言えるし、姫さま一人でもありませんし……。詳しいことは、今姫さまがいらっしゃいますから……」
ひんやりとしたタオル地が首周りを拭うにつれ、千夏の繊細な手指が、俊輔の頬と言わず首筋と言わず、絶えずやわらかくなぞっていく。そのやさしい手の感触に、思わずうっとりしてしまう。しかも、千夏は右手でタオルを動かしながら、その左手ではずっと俊輔の頭を撫でてくれている。それが彼女流の介抱の仕方なのかもしれない。
その心地よさをいつまでも味わっていたい一方で、いよいよ俊輔はそれどころではなくなっていた。パンパンの膀胱が、我慢の限界を告げているのだ。
「あ、あの、足立さん……」
物おじしない性格の俊輔であったが、若く美しい女性に尿意を示すのは骨が折れる。過去に入院生活など一度もなかっただけに、なおさらだった。
「あん。わたくしのことは、千夏で構いませんわ」
「じゃあ、ち、千夏さん……。僕、今困ったことに……」
微笑みでも癒しを与えてくれる千夏に、どこまで甘えていいものか逡巡しながらも、やむなく俊輔は口にした。
「その……おしっこがどうにも……もう限界で……」
「あ、まあ大変。気がついてあげられなくてごめんなさい……。そうよ。そうですよね。トイレにも行けないのですよね……。えーと。必要なのは、しびん、しびん……」
弾かれたように動きだす千夏。ベッド下のスペースから透明なガラス製のしびんを取り出した。
「ええ。慣れていますから、大丈夫です。任せてくださいね」
明らかに慣れていない態度で布団をはぐり、あるべきポジションにそれが運ばれた。
眠っているうちに着替えさせられたのであろう。俊輔が身につけているのは、旅館などで用いるような寝巻代わりの浴衣だった。それもどういう訳か、大きめの女性ものを着せられている。
「あの、自分で……」
千夏ほどの美女に、下の世話をさせるのは、あまりにも抵抗がある。
「いいのです。わたくしに任せてください」
「で、でも、それじゃあ、あんまり……」