万引き女子学生調教医療

その時小雪は、自分が本屋の女店主に忠告していた、万引き犯になったことなど完全に忘れていた。

小雪は居眠りしている女主人に挨拶もせずにそそくさと店を後にした。

小雪は自分が何をしたのか、よくわかっていなかった。いや、わかっていたのだが、「もうあの店には行けない」という思いと、「行かないと疑われないまでも怪しまれちゃう」という思いが頭の中でぐるぐる渦巻いていた。

だから、店から百歩ほど遠ざかり、緊張が緩みかけた頃、学校の制服である、濃紺のブレザーに包まれた小さな細い肩に手が置かれた時、本当に飛び上がり、心臓が止まりそうになるほど驚いてしまった。

「キミ」

(ひッ!!)

「その制服は、せいほう学園のモノだね? 学生証を出したまえ」

その声に、全身をコーチョクさせながら、振り返ると、ソコには小雪よりも頭ふたつ分は高い上背のある背広姿の細身の男が立っていた。

──!!!──

小雪にはその男に見覚えがあった。

小雪が通う清芳学園の保健医であるだった。

ずぞぞぞぞッ。

小雪はオゾが立った。

彼は逆三角形の頭と細長い手足をぎこちなく動かす所作から、カマキリを連想させ、また名前から「ゲロキモ」と陰で呼ばれていた。その中年の男性保健医師は教員免許も取得しているのだが、どんな授業も受け持っていない。また、どんなクラスの担任にも副担任にもなっていないはずだった。

名門進学校である清芳学園に通う小雪たちからすれば、下呂井は「誰も、特に女生徒たちが行くはずもない保健室に勤めているだけ」の、中年保健医教師であり、生涯深い関わりあいを持つなど考えられない人間でしかなかった。

(見られた)

(見られた)

(本を万引きする所を見られた)

(しかも、あんな、恥ずかしい、ハレンチな本を万引きするトコロを見られた)

(しかも、よりによってみんなから『ゲロキモ』と呼ばれている、気持ちの悪いこの男に)

(どうしよう)

(どうしよう)

(どうしよう)

頭の中で行き場のない堂々巡りの思いがぐるぐると駆け巡り、心臓が早鐘を打つ。全身の皮膚という皮膚から気色の悪い冷たい汗がしぶく。

そんな下呂井に呼び止められた衝撃に全身を強張らせたままでいる小雪の小さな肩に手を置き、いぶかしげに眉をひそめながら、下呂井は続けた。

「『清芳学園の生徒は常時この生徒手帳(学園手帳)を携行し、求められたら速やかに提示すること』 手帳にもそう書かれているハズだし、いつも読んでいるハズだよ?」

「あ……、あの……ッ」

ようやく口を開き、絞り出した声は涙にかすれ、上ずっていた。

「け……ッ、警察に行くんですか……ッ」

「それはキミしだいだよ」

その言葉に、小雪は思わず叫んでいた。

「黙秘しますッ!!」

それはTVなどで覚えた、自己防衛のためのセリフであったが、先ほどの「警察にいくんですか?」と「黙秘します」という言葉自体、小雪自身が何らかの犯罪に関与していることを自ら告白していた。

気が動転して涙声になっている小雪の幼くも整った面差しの前に下呂井は、仕方なさそうなため息をついた後、スマートフォンをかざした。

──!!!──

「ひッ!」

小雪は自分の口からかすれた悲鳴が飛び出すのを聞いた。

そして、自分の顔から音を立てて血の気が引いていくのがわかった。

スマートフォンの液晶画面に映し出されたのは、先ほどの小雪の姿だった。そう、馴染みの書店で万引きを働いている、ショルダーバッグに本をすべりこませようとしている現場の写真だった。本のタイトルすら判別できそうだった。

「……これ以上、手をかけるのなら本当に交番警察に行くよ」

その下呂井の言葉が決定打だった。

──!!!──

がくがく。がくがく。

「け……ッ、け……ッ、ケイサツは……ッ、警察だけはやめてください……ッ!」

ふるふるッ、ふるふるッ。

小雪は膝まで震わせながら、かぶりを振りたくり、小刻みに揺れる手で紺色のブレザーの内ポケットから生徒手帳を取り出し、下呂井に手渡した。

「ふむ」

差し出された小雪の生徒手帳を開き、小雪と交互に見やる。そこに貼られた写真で本人確認をしているのに違いなかった。

生きた心地のしない小雪に下呂井はさらに言葉を続けた。

「本を出したまえ」

──!!!──

下呂井が求めているのが何の本なのか、尋ねるまでもなかった。

下呂井は小雪に万引きした本を差し出せと言っているのだ。

ふるふる。ふるふる。

「ゆ……ッ、ゆ……ッ、許してください……ッ」

小雪は泣きじゃくった。

そんな小雪に、下呂井は素っ気なくかぶりを振った。

「そんなわけにはいかないだろう? 警察沙汰にしたくないのなら、出しなさい」

そうまで言われては従うより他なかった。

(あああ……ッ、いやぁぁ……ッ、見ないでぇぇ……ッ)

両方の耳たぶから頭の中まで真っ赤にしながら、小雪はギクシャクした動作でショルダーバッグから先ほどの本を取り出し、下呂井に手渡した。すると、下呂井は内容を確かめたり、また下品でエロチックな表紙と消え入りそうなまでに縮こまっている小雪とを見比べもせずにきびすを返す。

「少し待っていなさい」

下呂井はそう言うと、小雪を一人残し、その場から立ち去ってしまう。

一人残された小雪は一瞬「逃げてしまおうか?」と考えたが、それが何の解決にもならないことにすぐに気付き、その場に立っているより他なかった。たとえ、この場から逃げ出すことができたとしても、後で問題が大きくなることは必定だった。