万引き女子学生調教医療

「……勘弁してくれないかなぁ」

そののんびりしたとも言える口調に、小雪は視線を上げ、目の前にいる教師を見つめた。『ゲロキモ』と呼ばれて、理不尽に嫌われている男性教師は逆三角形の頭部に困惑の表情を浮かべている。どうやら、本心から困っていて、当惑している様子だった。

「別にボクは、キミを、白瀬クンを取り調べしようとか、脅そうとか、するつもりはまったくないんだよ」

そう言ってから、下呂井は首をひねり、剃り残しのある頬を撫でた。

「……そうだねえ、言ってしまえば、どうやったら、ボクが責任逃れできるのか、一緒に考えてもらえないかなぁ」

「……?」

下呂井の言葉に小雪は今度はその整った面差しにろんげな、胡散臭げな表情を浮かべた。

はあ。

自分が通う勤め先である、学校の中等部3年の女子学生の反応に、困り切った表情で下呂井は大きなため息をついた。

「だって考えてごらんよ。自分の学校の可愛らしい女生徒が、書店に入るのを見かけ、その店先で雑誌を立ち読みしていたトコロ、その女学生が挙動不審な態度をとり、女店員が居眠りしているのを幸いに、手にした本を自分のバッグに入れたんだよ。取り締まり、ッというか、問いたださないワケにはいかないだろう?」

「……」

なおも押し黙り続け、緊張と警戒を解こうとしない、自分の学校の生徒に手を焼いたように下呂井は続けた。

「はっきりと言って、このままキミ、……を帰しても構わないんだよ。ボクにしてみればね」

下呂井はそこで、もう一度言葉を切り、机の上に両肘をついて、両方の手を組み合わせた。

「でも、最低限度の説諭、とかさ、はしなくちゃあ、いけないだろう? 勿論、警察には言わないよ。キミの家にも連絡しない。キミの担当の先生にも言わないさ。ただ、風紀主任のくろいわセンセイくらいには簡単にでも告げておかないとね。さもないと」

『自分の責任になっちゃう』と下呂井が言おうとした途端、小雪が鋭く言葉を発した。

「誰にも言わないでください!」

小雪の鋭い、悲鳴にも似た発言に一瞬驚いた表情を作ったが、下呂井はすぐに安堵した様子だった。

「……わかった。黒岩センセイにも黙っておこう」

「ありがとうございます……」

下呂井の言葉に小雪は消え入りたげな風情でこうべを垂れた。

そして小雪は胸を突かれたような表情を浮かべた。そして、今回の出来事が小雪だけでなく、それを見つけた男性教師の方にも非常な緊張を強いているのを知った。しかし、それでも主張しなければならないコト、言っておきたいコトはあった。

「本当に誰にも、誰にも言わないでください。他の誰かに知られたりしたら、本当に困ってしまうんです……」

脳裏に優しい両親の困惑顔が浮かぶ。級友たちが遠去かっていく姿が見える。ようやく入ることができた、憧れの学校の風景が消えかかる。

『どんな行為コトでもしますから』

語尾が涙まじりに震え、小雪はこれ以上の言質をとられないような言葉を出さずにいるのがやっとだった。

はあ。

下呂井は何度目かのため息をついた。

そして天井を睨みながら、途方に暮れたようにつぶやいてみせる。

「……わかったよ。黒岩センセイにも黙っておこう」

「ホントウですか!? 嬉しい!」

下呂井の発言に、手を叩かんばかりに喜び、小雪は身を乗り出してくる。

「……現金だねえ」

当惑口調で降参をあらわにし、下呂井はため息交じりにうなずいていた。ただ、教師として、勤め人として責任を回避する意味でも釘を刺すのを忘れない。

「ああ、ホントウだとも。ただ、ボクの質問にいくつか答えてくれたらね」

そう言ってから下呂井は手のひらをテーブルの上に差し出した。

「その前に、まず、ココアを飲みたまえ。冷めちゃうよ」

「はい」

小雪は素直にうなずき、温かく黒い液体に満たされた、かなり大ぶりのマグカップを両手に取った。

事実、そのココアは結構美味しかった。少なくとも、小雪の緊張を和らげる効果はあったようだった。頰っぺを紅くして人心地つく小雪に、下呂井は「かなり興奮していたみたいだね」と微笑みかけ、さらに「コレを呑んでごらん」とビジネスバッグから取り出したカプセルタイプの錠剤を差し出した。「コレを呑むとさらに気分が落ち着くよ」との言葉も添えた。

小雪はしばらく考えた後、素直に飲み下した。

『今は、今だけはこの男に従おう』と考えたのだ。

自分よりも二十歳も若い少女のか細く、綺麗な白い喉首が確かに動くのを見届けた下呂井はいずまいを正した。

一方の小雪は、喉元を過ぎて胃の中に落ちた薬が溶け出すと、なんだかポカポカしてくるのを感じた。肉体の火照りを感じる小雪に下呂井が話しかけてくる。

「っで、あらためて聞くけれど、なぜ白瀬クンは、あの、この本を、ま、いや、欲しかったのかね?」

──!──

小雪はちょっと吃驚した。丸く目を見開く小雪に下呂井が畳みかける。

「……まさか、転売目的だとは思わないんだけれど」

ぶんぶん。

小雪は大慌てでかぶりを振り、尖った声を絞り出す。

「違います」

最近、小雪が本屋の女主人に言ったように面白半分スリル半分、それに小遣い欲しさに本を万引きし、書籍の中古売買専門店に持ち込むやからが跡を絶たない。それが中小書籍店の経営に少なからぬ打撃を与えているのは小雪ならずとも知っている。そんな無法な真似ふるまいを両親から知り合いである馴染みの書店で小雪ができるわけがなかった。