そして、たった二週間の付き合いでも、正太郎には分かっていた。眞由美は本気で助けを求めてきた相手を見捨てない人だ。
(といっても……)
室内を見回す。
彼らが今いるのは、正しく問題の書斎。
唯一の入口は分厚い木製ドアで、入ると正面に立派な机がある。机の後ろには、大きなガラス窓。カーテンも付いているが、瑠実が鍵を確認したなら、人が隠れていられたはずはない。
廊下と繋がるドアから見て、右手の壁は丸ごと作り付けの本棚となっていた。左の壁は寄木細工風の意匠が施され、絵画が二枚、一メートルほどの間隔を置いて飾ってある。壁の向こうは、どちらも別の部屋になっているはずだ。
(ドアと窓の他に、出入り口はなし……か)
いわゆる密室というヤツだろうか。
正太郎達は、机と距離を取って置かれたソファーに座っていた。足元には、ワインレッドの厚い絨毯。どっちも嘘みたいにフカフカだ。
「お、そうだ。女は机かソファーの陰に隠れてたんじゃないか? で、瑠実の注意が他へ逸れている間に、廊下へ逃げたとか」
「あたし、ここへ入ってすぐドアを閉めたのよ。外に出ようとすれば、音がしたはずよ」
「……所長はどう思いますか?」
尋ねてみると眞由美は──依頼人を見捨てないはずの女探偵は──何故か目を泳がせかけていた。
「…………まだ何とも言えないわね。でも、家の中のことだもの。井上さんのお父さんの許可をもらってからじゃないと、詳しく調べるわけには、いかないわ……」
望まぬ決断を下すみたいで、申し訳なさそうな横顔だ。
(どうしたんだ?)
正太郎は首を捻りたくなるが、微細な変化が瑠実には分からない。
「駄目よ! パパはあたしのこと、信じてくれてないもの。あんたが会おうとしたって、帰しちゃうに決まってる!」
目に薄く涙まで浮かびかけていた。親が話を聞いてくれなくて堪えているのか。あるいは強がっていただけで、本当は幽霊が怖いのか──。
「どうして誰も信じてくれないのよ! あたしはちゃんと見たのにっ!」
もはや悲痛とさえいえる叫び。
それでもまだ、女探偵は首を縦に振るのを躊躇っている。
(もしかしたら……)
正太郎は考えてみた。
眞由美は『プロである以上、タダ働きは駄目』という自分のルールに縛られているのかもしれない。
しかし、瑠実と仲直りできそうだと喜んでいたのも、他ならぬ眞由美なのだ。
「……あの、少しぐらい調べてやってもいいんじゃないでしょうか?」
出来るだけ控えめに口を出す。
「よ、吉尾君……」
「不審者が簡単に忍び込める方法があるとしたら、放っておけないじゃないですか」
二人がかりで言われ、さらに眼差しでも訴えられて、ようやく眞由美も折れた。
「なら…………本当にちょっとだけ、ね?」
彼女は室内を見回す。そしてソファーから立ち、絵が飾られている左側の壁へ近づいた。何度か立つ位置を変えたり、しゃがんだりしながら、あちこちにノックして──。
(……?)
正太郎には意味不明の行動だ。ともかく、美脚が曲がるたび、大きめヒップへスカートの張りつく様は、かなり目のやり場に困る。
やがてそっと頷いてから、女探偵が振り返った。
「この壁の下の方、隣の部屋とは別に、狭い空洞があるみたい。機械仕掛けで開くんじゃないかしら」
「え、えっ? 隠し通路でもあるんですか!?」
立ち上がってからここまで、一分とちょっとだ。
流れがスムーズすぎて、正太郎でさえ、適当に少女へ話を合わせているのではないかと、疑いかけてしまった。
だが、眞由美はごく当たり前のように応じる。
「多分そうね」
一方、瑠実は呆然としつつも、素直に信じているらしかった。
「こ、この家……売り家だったのよ。パパが気に入って、四年前に引っ越してきたから……」
「お父さんへ伝わらなかった、秘密の仕掛けがあるかもしれないのね?」
コクリ。女探偵へ頷いた後、少女は不思議そうに聞き返した。
「でも、どうしてこんな簡単に分かったのよ?」
「わざわざ小説みたいなトリックを考える必要はないもの。凝った造りのお屋敷だし、ドアと窓が駄目なら、隠し通路があったりしてって思ったの。井上さんが覗くまでの二、三分間で開け閉めしやすい場所といったら、一番はこの壁だわ。寄木細工風の模様を使えば、継ぎ目も隠せるでしょうし……。最初から大当たりね」
言われてみれば他の壁は、中身が詰まった本棚で塞がれているか、廊下に面しているか、あるいは鍵のかかったガラス窓になっているか。床は切れ目のない絨毯が覆っている。
「…………あ、あんたって凄いヤツだったのね。嫌な性格だけど……っ」
父親でさえ相手にしてくれなかった話を受け止め、隠し部屋らしいものをあっさり見つけた女探偵を、瑠実も多少は見直す気になったらしい。
しかし、眞由美は苦笑いを見せる。
「どういたしまして。でも、今はここまでね? 後の行動は、井上さんのお父さんと相談してから決めるわ」
「えっ? 開け方は? パパは仕事の打ち合わせで夕方まで帰ってこないのよ?」
矢継ぎ早に質問されるが、女探偵は困ったような笑みを浮かべるのみだ。
正太郎は二度目の横槍を入れてしまう。
「……所長、俺達が帰った後、こいつが一人で隠し部屋を探したら、色々危ないと思いますが……」