女探偵眞由美の誘惑事件簿

「先生っ、シレを……逃げた犬を探してくださいっ。僕ははじめっていいます! 自分でも探したけれど見つからなくて……だ、大事な家族なんです! お願いします!」

正太郎はある意味、単純なタイプだ。事務所から追い出されかねない立場でありながら、この少年が可哀相になってきた。

探偵事務所なんて非日常めいた場所へ、子供が一人で来るなど、相当な勇気が必要だったろう。加えて、今にも泣きだしそうな必死さ。

きっと、もう他に手段が思い浮かばないのだ。

思わず眞由美を見れば、彼女と視線がぶつかった。

こちらの内面を確かめるような表情だ。息の止まりそうな緊張感が、正太郎の身を走る。

だが、眞由美はすぐに小さく微笑み直した。

「吉尾君、席を一回、私の隣に移して」

「え?」

「そこはお客さんのための場所だもの。君はバイトに採用されないと困るんでしょう? お給料とか勤務時間とかの細かい話は、後で決めるから……そうだわ、これからは私を所長と呼ぶように、ね?」

「っ……はいっ」

正太郎は弾かれたようにソファーから立つ。

ますます厄介な板挟みとなってしまったが、こうなったら、なるようにしかならない。

何度も試合に臨んでは負けた経験から、土壇場での腹の括り方だけは、無意識に覚えている正太郎だった。

正太郎は眞由美と並んで、小さな依頼人から話を聞くことになった。

隣からは、女らしい甘やかな香りが漂ってくるが、努めて正面へ意識を集中する。

「あの……これが探してほしい犬なんです」

創は落ち着きのない手で、さっきまで背中にあった鞄から、一枚の紙を取り出した。

覗き込んでみれば、それは時々、街中で見かけるような張り紙だ。『迷子の犬を探しています』という見出しの下に、柴犬の写真がカラーで印刷。さらに性別や大きさといった特徴、見つけた時の連絡先も、列挙されている。

「これ、君が作ったの?」

眞由美に聞かれて、「はい」と遠慮がちに頷く創。

「よく出来ているわね。ちゃんとシレ君の特徴が伝わってくる」

今にも頭を撫でんばかりに褒められて、少年はモジモジ俯いた。

眞由美の態度は穏やかで、さながら保育士か学校の先生だ。さっきまで翻弄されていた正太郎ですら、本当は優しい人なのではないかと思えてくる。

きっと相手の人柄を瞬時に見極め、適切な対応を出来る人なのだろう。

(……さすがプロだ……)

素直に感心させられた。

その間にも、眞由美は質問を重ねていく。

「逃げ出した時の状況を教えてくれる?」

「それが……その……」

何故か困ったように言いよどむ創だが、眞由美に「ん?」と柔らかく促されて、

「ええと……散歩中、近所のボス猫に吠えられて……それで驚いたみたいで、僕が持ってたリードごと、道の向こうへ走っていっちゃって……」

少年に悪いと思いつつ、正太郎は冗談みたいなその光景を想像してしまった。一方で眞由美は、巧みに内心を隠している。

「……分かったわ。私とこっちのお兄さんで、探すのを手伝ってあげる。この張り紙、私達も使うから、一枚ちょうだいね。それと連絡先のところを、探偵事務所に書き換えて良い?」

「は、はいっ!」

すがるように少年の顔が上がった。そこへブレーキをかけるように、人差し指を立てる女探偵。

「でも、必ず見つけるという約束までは出来ないの。後、探偵は仕事だから、お礼をもらわなくちゃいけないわ」

「それって幾らぐらい……でしょうか?」

「ここへ来ること、ご家族とは話した?」

「ごめんなさい……。まだです」

「じゃあ、まずは話すこと。それから、みんなで決めましょう?」

「分かりました。明日、お母さんを連れてきます!」

創はピョコンと立ち上がり、大きくお辞儀した。

少年を廊下へ送り出した後、ドアを閉めた眞由美は、「さて」と正太郎へ向き直る。

正太郎も席を立って、彼女と並んでいたところだ。女探偵との身長差はおよそ十一、二センチで、さっきよりずっと近い上目遣いに、一層ドキリとさせられる。

彼が棒立ちになったその横を、女探偵はすり抜けるように、ソファーへ戻った。

「次は君との相談ね。聞いておきたいんだけど、源元教授は一体どんなお礼を約束したの?」

「それは……」

正太郎は再び女探偵と向き合う形で腰を下ろし、学部長室でのやり取りを正直に答えた。

「うーん、手強いわね。といって、不利な情報なんて、流されたくないし……」

「そんなつもり、俺はないですよ。無事に卒業できれば十分です」

しかし、青年の甘ちゃんなセリフはスルーされる。

「こういうのはどうかしら? お給料は既定の通り。ただし仕事がない時は、私が勉強を見てあげる。これでも一度は弁護士になった先輩だもの。君にアドバイスできることは多いはずよ」

思ったより普通の内容で、正太郎もホッとした。英雄と張り合って、妙なことを言い出すのではないかと、少し心配だったのだ。

と思ったのも束の間、妖しい付け足しが来る。

「プラス。働き次第では、大学で絶対にしてくれない、ひ・み・つのお勉強もね?」

ソファーから身を乗り出し、ローテーブルへ両手を置く眞由美。

前屈みの姿勢になると、胸の大きさは殊更に強調された。襟元では、ブラウスの第一ボタンが最初から外されており、深い谷間まで覗けそう。血が通う肌の丸みと色艶は、曇りない布地の白さが霞むほど蠱惑的だった。