女探偵眞由美の誘惑事件簿

正太郎は無意識に、そこを直視してしまう。すぐ我に返って顔を逸らすが、これではいやらしい見方をしたと白状するようなものだ。

頬が赤くなったのを、眞由美も見逃さなかった。

「ほぉら……若き弁護士がハニートラップに負けるなんて、まずいでしょ? そっち方面の経験も、色々積ませてあげる。私みたいのが好みじゃなかったら、他に可愛い女の子を紹介するわ。ね、悪くない案じゃない?」

眞由美の誘う声も目線も、子供を励ます時と別人。蜜のようにネットリと五感へ絡み付く。

(この綺麗な人と……俺が!?)

正太郎は一度に体温が高まり、その熱は股間部へ殺到した。ズボンの下で、ムクムクと男根が太くなりかけ──。

だが、同時に胸を締め付けられる。

なんというか、このミステリアスながらも母性溢れる女性には──そう、下品な誘いをかけてきてほしくなかった。

理想像の押し付けだとしても、尊敬できる人生の先輩であって欲しい。

次の瞬間、青年は自分が異常に緊張する、一つの理由を閃いた。

(ひょっとして一目惚れか!? 俺はこの人を好きになってるのか!?)

異性経験が皆無の身に、眞由美の美貌は、劇薬同然だったのかもしれない。

「か……考えておきます!」

まだ、この原因が正解かどうか不明だ。

それでも混乱を払いたくて大声を張り上げると、眞由美はあっさりソファーへ座り直した。

「よしよし。それと仕事に来てもらう曜日は──」

彼女の態度は一変し、ごく普通に採用の相談をする経営者のものへ。

(からかわれたのか……?)

こんな底の知れないタイプに惹かれても、苦労が多いだけに決まっている。頭ではそう分かるのに、気持ちを切り替えられそうにない。

正太郎はドッと疲れを感じ、だが、おかげで勃ちかけた股間も鎮まった。

勤務に関する彼の要望は簡単に受け入れられ、通うのは基本的に月、水、金、土の午後か夕方からで、忙しい時は要相談と決まった。

「じゃ、書類を用意するから、目を通して記入もよろしくね。でも、せっかくだし、手伝いは今日からにしてもらおうかしら」

「え、何をするんですか……?」

一緒に仕事をするとなると、今日はまだ平静でいられないかもしれない。

身構える青年へ、眞由美はサラリと言った。

「当然、さっきの子の犬探しよ」

「……え? まだ正式に依頼を受けた訳じゃないのに?」

「探してあげるって約束なら、もうしたでしょ? しかも逃げ出したのが、何日も前よ。のんびりはしていられないわ。どっち道、親御さんが渋ったら、お小遣い価格で受けてあげるつもりだしね」

「なら、今日のうちにそう言ってあげれば良かったじゃないですか」

あんな子供なんだし──との思いで、正太郎。

しかし、「駄目よ」眞由美は即答だった。

「これは仕事だもの。最初から特別扱いしていたら、この先に支障が出かねない。それに甘すぎるのは、あの子のためにもならないわ。……という訳で、お喋りはここまで」

ポンと両手を打ちあわせる眞由美。そういう仕草は妙にあどけない。

「探偵も、特別な犬の探し方を知ってる訳じゃないの。まずは警察と保健所へ問い合わせ。次にローカルなSNSで情報拡散。後は野呂君がやったみたいな張り紙を、範囲を広げて張っていきながら、時間の許す限り、人へ聞いて回るしかないわね」

それは思っていたより、ずっと地道な作業だった。

この日の残りは、半径数キロにわたって、めぼしい家や店で張り紙の許可をもらううちに終わった。

「……今日はこれぐらいにしておきましょう。吉尾君、初仕事、お疲れ様でした」

「いえ、これからもよろしくお願いしますっ」

外の空気を吸ううち、正太郎も雇い主の色気へ馴染めてきた。気持ちはまだ整理できないが、この調子なら、次の出勤日にはもっと自然体で振る舞えそうだ。

「……シレ、見つかるといいですよね」

夕焼け空の下を探偵事務所へ戻りつつ、しみじみと述べる青年へ、眞由美はただ曖昧な笑みを浮かべた。

小さい子供が悲しむ場面は見たくなかったが、成功率は必ずしも高くないのかもしれない。

だが、運が良かったのだろうか。

翌々日になると、庭に入ってきたシレを預かっているという電話が、探偵事務所へかかってきたのだ。

「これはまた……随分なところへ逃げ込みましたね」

連絡してきた相手──幼げな声で、いのうえと名乗っていた──の許へ、眞由美と二人で出向いてみれば、そこは家というより『洋館』と呼ぶのがしっくりくる豪邸だった。

敷地は背の高い塀に囲まれ、その一角に鉄柵付きの門がある。柵の隙間は、人間では絶対に潜り込めないが、柴犬ならどうにか通れそうだ。

その門から前庭の奥へと、道が一本伸びていた。ただし、多種多様な木々に挟まれつつ、途中でカーブを描くため、奥までは確認できない。

目を上へ転じれば、屋敷の二階が見て取れる。空へ伸びあがる三角形の屋根と、石を組んで造られたバルコニー。どっちも正太郎が、二十一年の人生でお目にかかったことがない代物だ。

とはいえ、シレも遠くまで逃げていた訳ではない。創の家からここまで、山手線で三駅程度しか離れていないのだ。

門の脇、『井上』という表札の下には、クリーム色のインターホンが付けられていた。

そのボタンを、眞由美はさして動じた様子もなく、気軽に押す。彼女の装いは、今日も女物のスーツだ。