女探偵眞由美の誘惑事件簿

「あ、あ、あんたっ……どうしてそれを!?」

たった一言。それだけで女探偵は、爆弾級の衝撃を与えたらしい。

(何を告げたんだ?)

地下室や愛人の存在を看破されただけにしては、強面が崩れすぎている。とすると、眞由美は追加調査で、何か特別なことに気付いたのかもしれない。

「いかがでしょう。ここはじっくり、二人きりでお話ししたいのですけれど?」

一歩引いた女探偵から求められて、平吉もガクガク頷いた。それが娘の目には、脅迫されたように見えたらしい。

「あんた……うちのパパに何言ったのよ!?」

詰め寄ろうとする瑠実を、咄嗟に正太郎は制した。

「所長、俺達は書斎で本でも読んでます」

「……そうね。お願いするわ。構いませんよね、井上監督」

「ああ……瑠実。ちょっとだけ待っていてくれ」

父親からも言われて、少女は不承不承頷いた。が、おそらく眞由美=嫌な女という印象をますます強めたことだろう。

「パパ、何かあったらすぐに呼んでよ。あたしがそんな女、やっつけてやるから!」

憎々しげに睨まれても、眞由美は表面上、穏やかに苦笑するのみだ。

しかし、正太郎は一瞬だけだが見ていた。

気を利かせた自分を、確かに彼女は感謝の眼差しで見上げてきた。

地下室で言っていた『後で思い切った行動をできるように』というのも、このことかもしれない。

悪女めいた態度には、きっと深い理由があるのだ。

書斎で時間潰しに本を読みながら、正太郎と瑠実の間の空気は、ひどくピリピリしていた。そうして居心地が悪いまま、三十分近く経過。

ようやく眞由美と平吉が、ドアから書斎へ入ってくる。

「パパ!」

本を放り出して、瑠実は一直線に父親へ駆け寄った。

「平気だった? この女に嫌なこととか、されなかった!?」

抱きつく彼女の頭を、平吉が何度も撫でる。

その仕草に、正太郎は驚いた。さっきと打って変わって落ち着いており、まるで憑き物が落ちたようなのだ。

「瑠実……不安にさせてごめんな。本当はパパ、幽霊の正体を知っていて、それを隠そうとしてたんだ。でも、探偵さんと相談して決めたよ。全て正直に話そうってな」

この口ぶりからして、愛人の存在を娘へ語るつもりらしい。

改まった口調に、瑠実も不安げな顔となる。正太郎まで固唾を飲んでしまった。

その前で、平吉は一度深呼吸。

「実は、お前が見た幽霊な。……………………………女装したパパだったんだ」

「…………はい?」

「……何、それ?」

正太郎と瑠実の呆けた声が重なった。どちらも顎と肩が、漫画のようにカクッと落っこちる。

愛人じゃなかったのかよ──という疑問さえ、青年の頭には浮かばなかった。

一時間後、探偵事務所へ戻った眞由美は、おもむろに正太郎へ語りだした。

「……井上監督の愛人については、私も考えたわ。でもそうすると色々不自然なのよ」

彼女は所長用の椅子へ、正太郎はソファーへ座り、それぞれ自分用のコーヒーカップを前に置いている。

今頃は井上家でも、父と娘が話し合っていることだろう。

「怪しい女は白いドレス……というか、ネグリジェを着ていた訳でしょう。でも、存在を娘へ隠していた割に、寛ぎすぎじゃないかしら。しかも、訪問先の二階で着替えてから一階に下りるなんて、目撃されるリスクを増やすだけよ。どうしても着替えたければ、秘密の地下室ですれば良かったのに」

眞由美の説明は、噛んで含めるように丁寧だ。

「言われてみれば……そうですね」

「それで、見つかるかどうかのスリルを愉しむプレイの一種って線も考えたの。だけど、それならもっと怪しい格好にしそうじゃない? ボンテージとか、下着とか、全裸とか」

「で、一人でネグリジェを着て歩くとしたら、どんなシチュエーションが刺激的か、発想を膨らませていった訳ですね?」

「ええ。井上監督から聞いたんだけど、女装しながら地下室で構想を練ると、いつもより面白いアイデアを閃く気がしたそうよ」

「……と、倒錯していますねぇ……」

しかも、ひどく腰砕けな真相である。だが、正太郎が嘆息すると、

「こら、吉尾君」

眞由美から窘められてしまった。

「趣味も価値観も人それぞれよ。それに探偵事務所や弁護士事務所へ来る人は、秘密を持っている場合が多いんだから。吉尾君だって、他人に隠しておきたい経験ぐらいあるでしょう?」

「え、ええ、まあ……」

今日も地下で一つ増えたばかりだ。

そこで別の疑問も浮かぶ。

「でも、瑠実が呼びに行った時、親父さんは寝室にいたわけですよね? あれはどうやったんですか?」

「井上監督は、娘に目撃されたと気付いてたのよ。……ほら、トイレの水とドアの音で。だけど走って逃げたら、騒ぎが大きくなるでしょう? それで幽霊みたいな歩き方で興味を引いて、井上さんを書斎までおびき寄せたの」

「後は隠し通路を使って、大急ぎで自分の寝室に戻った……と」

謎が細部まで解けて、正太郎はコーヒーを煽った。喉を滑っていく温めの感覚と苦味も、頭を落ち着かせてくれる。

「所長……瑠実と親父さんは大丈夫だと思いますか? 女装も地下の装飾も、相当ショッキングですよ?」

「……きっと平気よ。監督自身、秘密を打ち明ける機会を探していたそうだし、井上さんも親の猟奇的な作風に理解を示す、心の柔軟な子だもの」