女探偵眞由美の誘惑事件簿

独立して自分の事務所を持った眞由美は、ずっと一人で気張り続けてきた。英雄が見かけた時は、本当にギリギリの表情となっていたのだろう。

とはいえ、まだ完全な答えとは言えなかった。

「学部長なら、所長の力になれる方法が、他にあったんじゃないですか?」

「娘はもう良い大人だ。それに僕だって歳だよ? 未来ある若者の方が、長く眞由美を支えていけるじゃないか」

「……それが、俺なんですか?」

「ああ。娘は探偵だから、キャリアを積んだ弁護士じゃ、立場が違いすぎて心からの仲間にはなれない。だけど学生の内から信頼関係を築いておけば、将来弁護士になった後も、娘の力になれる。今いる学生の中で、君を一番評価しているのは本当なんだ」

眞由美の父はどんな人かと、前に質問した時、英雄は『臆病でズルい男』だと評していた。あれは自己嫌悪の表れだったのかもしれない。

差し伸べた手を娘に払いのけられるかもしれなくて、彼も怖かったのか──。

いや、それにしたって。

やはり正太郎は賛同しきれなかった。

「眞由美さんはずっと……父親に嫌われていると思っていたんです。あなたの温かさが、何よりも必要だったんです」

「そうなのかな、眞由美」

実父に問われ、眞由美は心身の強張りを解こうと努めている様子だった。

「……ええ……これまではそうだったんでしょうね。でも、悲観的になることはないって分かったもの。少しずつでも、前向きに意識を変えるわ」

「ほう」

「今の私には、正太郎君も必要なの。いつか家族になりたいと……そう思っているのよ、お父さん」

「え? ま、眞由美さんっ?」

恋人の大胆発言に驚き、正太郎は隣を見た。だが考えてみれば、自分もいつの間にか、彼女をファーストネームで呼びだしている。

そこで腹を括って、学部長を見据えた。

「俺も眞由美さんが好きです。学部長がどんな意図で俺を探偵事務所へ送り込んだのだとしても、この先ずっと眞由美さんの力になっていくことは変わりませんっ!」

親子関係の改善を願っていたはずが、何やら宣戦布告めいた気分となってきた。

しかしこの際、構わない。娘の恋人と父親の対面なんて、大なり小なり、対決じみている場合が多いはずだ。

今はまだ力不足の自分だが。

必ず将来、『娘さんを嫁にする』と、胸を張って言い切ってみせる!

──そうして。

これは六年後のある日の風景。

「そろそろ、俺は出ても大丈夫か?」

「ええ、私達なら心配ご無用。あなたも依頼者さんのために頑張らなきゃ、ね?」

「ああ、まあ……分かったよ」

少々後ろ髪を引かれながらも、正太郎は眞由美へ出かける時の挨拶を──軽めのキスをした。

二人の周囲で変化したことは多い。

たとえば互いの指で輝くのは結婚指輪だし。

部屋のベビーベッドには、あどけない赤ん坊がいるし。

正太郎はどうにか弁護士になれたし。

探偵事務所は女性メンバーが三人も増えた。

一方で、変わらないこともある。

眞由美の若々しさがその筆頭だろう。今は出産と育児のために休職中の身だが、遠からず仕事場へ復帰するはずだ。

今の正太郎なら、妻が探偵の道を選んだ理由も分かる。弁護士は多くの人を助けられる仕事だが、法律沙汰まで発展したら手遅れというトラブルも、世の中には多いのだ。

その時、インターホンが鳴った。

「あら、お客さんね。この時間だと……」

「あいつらかもな」

椅子から立ち上がろうとする眞由美を軽く手で止めて、正太郎は玄関へ出る。

覗き窓から確かめると、外にいたのは思った通りの二人組だ。

「……よお」

すぐにドアを開けて、客達──井上瑠実と野呂創を出迎えた。

途端に瑠実が怪訝な顔をして、

「正太郎、どうして昼間から家にいるのよ? もしかして首になっちゃった?」

「んな訳あるか。仕事で近くへ来たついでに、眞由美達の様子を見に寄ったんだ」

「ふーん、サボリだったのね」

瞳に宿る光は相変わらず勝気そうだし、口の悪さも直っていないが、それでも瑠実はかなりの美少女に成長していた。

「あはは……こんにちは、正太郎さん」

控えめにお辞儀してくる創の方も、オドオドした雰囲気が薄れて、温厚な美少年といった趣だ。

「もうっ、創ってば。挨拶ならもっとシャキッとしなさいよ。これからは、あんたも赤ちゃんのお手本にならなきゃいけないんだからねっ」

「そ、それを言うなら、瑠実ちゃんだって……! 聞いたよ。この間も数学のテストで赤て──」

「むっ。うるさいわねっ」

「まあ……創も瑠実も上がれよ」

玄関先で痴話げんかを始められては堪らない。賑やかなコンビを連れて、正太郎は妻のもとまで戻った。

すると、ちょっとの間に電話がかかってきていたらしい。

「ええ……ええ、一時間後ぐらいね? 分かったわ」

受話器に向かって何事か話していた眞由美は、若い客へ挨拶代わりに柔らかく微笑。

気安い調子で通話を終えたら、正太郎にも笑いかけてきた。

「これからお父さんが遊びに来るって。ふふっ、ほとんど毎日ね」

「よっぽど初孫が嬉しいんだろう」

愛おしさを籠めて、ベビーベッドへ目を向ける正太郎。

何だかんだで手強い義父ではあるが、自分も多少は仲良くなれてきた──と思う。

そこへ割り込むように、瑠実が片手を挙げた。

「眞由美っ、あたし達も赤ちゃんを見に来てあげたわよっ」