やがて創の母の再婚が決まり、円満に退職。母子は井上家を出たが、この時、瑠実は寂しさから、去っていく創へ、心にもない暴言をぶつけてしまった。
──そういう事情なら、親父さんが住所を知ってたかもしれないぞ?──
正太郎はそう言ったのだが、瑠実も大真面目に主張する。
──パパって、創のお母さんに片思いしてたっぽいのよ。それじゃ聞きにくいでしょ。後、創も連絡をくれないし…………多分、まだ怒ってるし……──
変なところで気を回した彼女は、シレを口実に、事情を伏せたままで探偵へ付いていこうと考えた。だから事態が余計にややこしくなった。
せめて、創が作った方の張り紙を見ていたら、野呂家の連絡先もすんなり分かったのだが。
とはいえ玉村探偵事務所と関わったことで、『幽霊』の正体も分かったのだから、結果オーライか。
少女を見送った後、正太郎は眞由美へ聞いてみた。
「瑠実達が知り合いだって、所長は前から分かってたんですね?」
「ええ。実は二人の親御さんからも、最近、詳しい事情を聞き出しておいたの。伝言を引き受けるなら、保護者の了解は取るべきだものね」
「なるほど。でも、なんで創の方から連絡しないんでしょうね? もしかして、瑠実を避けてるとか……」
「それはないみたいよ。野呂君のお母さんに言わせると、瑠実から『大嫌い』って一喝されたのがショックだったみたい」
「そ、そんなことですか……」
「あら。相手を大切に思っていればこそ、変なところで慎重になったり、楽観的に考えるのがいけないことのように感じられたりするものよ?」
そこで眞由美は壁にかかっている時計を見上げて、
「そろそろ依頼人が来る時間ね。吉尾君、悪いけれど野呂君の家へ行ってきてくれる?」
「俺一人でいいんですか?」
「大事な伝言だし、本当は一緒に行きたいんだけど、ね。瑠実も結果が待ち遠しいでしょうし、早く教えてあげなくちゃ」
「分かりました。じゃあ急いで伝えてきますよ」
正太郎は眞由美にお辞儀する。そして『大役』を果たすため、その場で回れ右をした。
二時間後、眞由美へ報告する段になると、正太郎まで浮かれた気分になっていた。
『良いことをした後は気分が良い』というアレだ。
「創のヤツ、すごく喜んでました。あれなら簡単に仲直りできると思います」
瑠実からのメッセージを聞いて、野呂創は目を丸くした。それから、幼馴染の現況を聞きたがった。
「だから、言ってやったんです。『もう遅いから、今日はお前から電話をしたらどうだ』って。あいつ、急にそわそわし始めたんで、俺は切り上げて帰ってきました」
「ふふっ、良かったわ」
眞由美も嬉しそうに微笑んでいる。
「所長の方はどうでした?」
「バッチリ身元調査の案件を取り付けたわよ。娘が悪者に騙されているようで心配なんですって」
「だったら、俺は何をしましょうか?」
身を乗り出す正太郎だが、眞由美はその勇み足を片手で制した。
「動くのは明日からにするわ。今は、源元教授と会った結果を聞かせてくれる?」
「ああ、そうでした」
そっちも重要である。
正太郎は大学でのやり取りを、かいつまんで語り始めた。ただ、どう伝えようかと迷う部分もある。学部長が述べた、眞由美の弱さに関する懸念だ。
だからそこは後回しにして、他のことを言い終える。会話の内容が多かったので、ダイジェストでも時間がかかった。
「以上です」
そう締めくくるや、眞由美は「ふぅっ」と背もたれへ寄り掛かる。
「かなり厄介だったみたいね。でも、残り一か月をクリアすれば、君もお役御免。弁護士を目指して、また勉強に集中できるわね」
優しい目線は、前途を祝してくれるかのようだ。
しかし、そこに一抹の躊躇が混じっているように、正太郎は感じた。
単に自分が必要とされたいという、勝手な願望かもしれない。
だが学部長の懸念も、きっちり伝えるべきだと思えてきた。そこで腹を据えて、口を開く。
「実は、まだ続きがあるんです。学部長は最後、所長が探偵を続けていく危うさを、指摘しました。能力は高いけれど、密かに疲れを溜めこんでいるんじゃないかと、そう言っていたんです」
──その瞬間、眞由美の笑みが固まった。
すぐに目を細め直して、小首を傾げる彼女だが、
「な、なんだか変な誤解をされちゃったみたいね。次の報告では、それを解く情報も用意しないと」
その声を聞き、正太郎の疑惑も確信へ変わった。
かつてポーカーフェイスが大事だと語っていた眞由美。なのに、本人が動揺を隠しきれていない。
となれば──放っておけなかった。
「……失礼ですが、所長。俺も、学部長が当たっているように思います」
彼が正直に告げると、少しの間、気まずい空気が漂った。
やがて、ほろ苦く笑う眞由美。
「吉尾君には、敵わないわね。認めたくないけど、ええ、事務所に一人ぼっちでいると、きついこともあるわ。……君が来てくれてから、本当に助かってるのよ?」
途端に青年の胸中で、保護欲が高まって。
「所長! 俺はこの先、十一月からも事務所に残ります。所長の負担を減らせるように頑張りますよ!」
「じゃあ……弁護士になる夢はどうするの?」
勢い込んで申し出たのに、眞由美は却って咎める目つきだ。
それでも正太郎は、傍に居続けたかった。