いざ話そうとするとやはり躊躇してしまうのだ。
彩香はそんな彼女を見て、分かっているというように何度もうなずいてみせた。
「話せることだけでいいわよ。無理に何もかもを打ち明ける必要はないの」
「彩香さん……」
「私に話すことで少しでも心の負担が軽くなるなら、それだけでいいから。ね?」
こちらを見つめる瞳には優しく、柔らかな光が浮かんでいる。こうして見つめ合っているだけで心が落ち着くようだ。年上らしく余裕のある態度に気分をほぐされ、瑞穂はぽつりぽつりと昨日の出来事を話し始めた。
郷田に強いられた口唇奉仕を思い出すと、あらためておぞましさがぶり返し、反射的に白いブラウスを着た胸元を両腕でかき抱いてしまう。それでも気力を振り絞って一部始終を話し終えた。
一言も発さず瑞穂の話を聞いていた彩香は、話が終わると深いため息をついた。
「郷田さんったら、瑞穂さんにもそんなことを……仕方がないわね、あの人は。大きな声じゃ言えないけど、私も似たようなことをされたことがあるわ」
「えっ」
驚いて息を呑む瑞穂。
「村の飲み会で酔って抱きつかれたり、キスされたり……ふふ、本当に酒癖悪いのよね、あの人」
「……そ、そうね」
抱きつかれたり、キスされたり──という言葉に、瑞穂は深いため息をついた。
彼女がされたのはそれどころではない。乳房を弄られ、あまつさえペニスへの口奉仕まで強いられたのだ。
思い出すだけで屈辱感が込み上げて全身が震えた。止まらなくなる。その震えを少しでも止めようと、スカートの上から太ももの辺りをギュッと握る。
「でもね、郷田さんは言い触らしたりしないわよ」
「そうかしら?」
「村社会は狭くて濃いネットワークだもの。瑞穂さんにセクハラしたことが知れ渡ったら、自分の立場も悪くなるでしょ」
なるほどと納得し、瑞穂はうなずいた。
「昨日のことはさっさと頭の隅に追いやって、愛する旦那さんと幸せな夫婦生活を送っていけばいいのよ。嫌なことは忘れるに限るわ」
にこやかに微笑む彩香を見ていると、自然と心が軽くなった。確かにおぞましい出来事だったが、もう心配することはない。犬に噛まれたとでも思って忘れるのが一番だろう。
やはり相談してよかったと思う。
彩香もそんな彼女を見てにっこりと笑った。
「そうだわ、瑞穂さん。よかったら今日の夜、家で飲まない?」
「えっ? でもご迷惑になるんじゃ──」
「いいのいいの。女二人でちょっとした息抜きしましょうよ。そっちは旦那さん、出張でいないっていう話だったわね」
「え、ええ」
彩香の勢いに押され、瑞穂はついうなずいてしまう。それを承諾の合図と受け取ったのか、彼女は一際嬉しそうに頬を緩めた。
「私の家も今日は旦那が仕事で帰ってこないのよ。ね、いいでしょ瑞穂さん。折角隣同士になったんだから親睦を深めたいじゃない。今夜は飲んで食べて嫌なことなんて忘れてしまいましょ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
これも彩香なりの気の遣い方なのだろうと判断し、瑞穂は微笑み混じりに了承した。
「ん……」
目を覚ますと薄暗い畳敷きの和室にいた。
「私、一体……」
酩酊していた意識に、少しずつ記憶が甦ってくる。
──夜になってもう一度畑野家を訪れた瑞穂は、彩香と一緒に飲んだ。楽しいひと時ではあったが、相談を終えてホッとしたせいで少しペースを上げすぎたのかもしれない。
彩香から勧められるままに酒を飲んだ瑞穂はすっかり酔いが回ってしまい、立ち上がるのもままならないほどになってしまった。そこで彩香から奥の部屋で休んでいくように言われたのだ。
「やだ、私、すっかり寝入って……」
一体どれくらい眠っていたのだろうか、布団からゆっくりと身を起こす。窓の外は暗く、おそらくまだ夜中だろう。
アルコールが残っている脳はまだ正常な動作を取り戻していない。おまけに眠気がひどく意識が朦朧となっていた。ふう、と息をついて目をつぶったとたん、下半身に何かが這い回る感触があった。
「えっ、何……?」
瑞穂は眉をひそめた。
最初は虫かと思ったが、もっと大きな何かだ。一体何かしら、と疑念を抱き、視線を下に向ける。
目覚めたばかりでぼんやりとした視界に細い肉色の何かが飛びこんできた。
「なっ……!?」
ギョッとして顔をこわばらせる。
すらりと伸びた形のよい脚に無骨な指先が這っているのだ。いつの間にか布団をはだけられ、何者かが瑞穂の下半身に取りついていた。
「い、嫌っ!」
驚いて上体を起こし、不審者から距離を取るように腰を下ろした体勢のまま後ずさる。
「あ、起こしちゃったかな?」
暗がりから聞こえてきたのは苦笑混じりの声。酔いと眠気でろくに目を開けることもできないが、この声はどうやら夫のようだ。
瑞穂はようやく安堵して緊張を解いた。
「あなた……どうしてここに?」
「家に帰ったら瑞穂の姿がなくてね。それで彩香さんのところに来たんだ」
「もう、驚かせないで」
瑞穂は目を閉じたまま、もう一度息をつく。
「でも出張はどうしたの?」
その疑問に答える代わりに、正一はふたたび体をにじり寄らせ、ふくらはぎのラインに沿って指先でツーッとなぞった。
「やぁっ……」
くすぐったくて足がビクンと跳ねる。
「会社の都合で一日早く終わることになったんだよ」