いけない誘惑水着 グラビアアイドルの撮影日記

肝心の加奈は編集者と話しこんでいて気づかない。しかし自分から何回も年上カメラマンに話しかける勇気は宏之にはなかった。

「昼からは場所を変えよう。菊池さんの言っていたハイキングコースの林の中を先にやろう。今朝の天気予報だと午後からは晴れて暑くなるらしい。気分も変えよう」

「はい。でも先生……ここの天気予報、当てにならないですよう。ねえヒロくん?」

「えっ。は、はい」

あわてて返事をした。

「祐美香が純情なのはわかってたけど……そこがいちばんの売りではあったのは確かだけど……正直ここまでだとは知らなかったなあ」

加奈はまだぶつぶつとそんなことを言っている。

こめかみに浮いた汗で髪を濡らしたグラビアアイドルはまだうなだれていたが、今のカメラマンのことばを聞いて、くちびるをグッと噛みしめ、なんだかくやしそうな顔つきを見せた。

それに気がついたのは宏之だけだった。

午後になっても天気ははっきりしなかった。

「うん、そうそう、セブン、イ○ブン、はいっ」

「あはは」

「うん、その笑った顔、いいよ」

旅館を出て海岸とは反対方向に少し歩けば森の入口だ。まつ鹿しか自然探勝路というハイキングコースになっている。海水浴客が途絶えるのと同時にこちらも訪れる人などいなくなってしまった。

白ブラウスと紺色のスカートというシンプルな服装の祐美香に、加奈がカメラを向けている。薄いブラウスの生地から白ビキニが透けている。

少し離れたところで宏之と結はそれを見ていた。

「い、今のは寒すぎる……オヤジギャグですらない……」

「こら。そんなこと言わないの。モデルさんをリラックスさせる先生の技術だよ」

そういう問題じゃないと思う。祐美香さんがやさしいから先生のために笑ってあげたんだと思う。

「……でもまあ、荒花先生の機嫌は直ったみたいですね」

「うん。気分屋だし。もともと怒ってたわけでもないからね」

「いや、あれは怒ってたと思いますけど」

宏之がそう言うと女性編集者は首を横に振った。大人っぽくまとめたお下げ髪も左右に揺れる。

「周りから見ればそうだけどお、本人は怒ってる自覚ないのよ。先生、仕事のことで頭の中がいっぱいになると、他のことが考えられなくなっちゃうだけで……あらっ?」

どんよりと曇っていた空からとうとう、ぽつり、ぽつり、と雨が降り始めた。

「本当に当たらないなあ天気予報。いつもこうだっけ、ヒロくん?」

「えーと……そうっすね。ぼくもふだんは大阪ですからわかりませんけど……」

どうやら待っていてもやみそうな感じではなかった。風も強くなって、まるで夕べの嵐がまたやってきそうにも思えるほどだ。

女流カメラマンも機材をバッグに片づけ始めている。

結が駆け寄って訊いた。

「今日はもうあきらめて、とりあえず旅館に戻ります、先生?」

「あきらめて、も、とりあえず、も加奈のきらいなことばなんだけど……そうね、本降りにならないうちに戻った方がいいかもね。祐美香、おつかれ」

「おつかれさまでした、先生」

でも祐美香さんまだちょっと元気がないのかな、と宏之は思う。

四人はハイキングコースを旅館に向かって戻り始めた。

途中一か所、崖沿いに道が細くなっているところがある。

「佐橋くん、ノートパソコンだけは絶対に濡らさないでね」

先頭を歩くカメラマンが最後尾にいる宏之を振り返った。宏之はフラッシュメーターやらグレー板やらスタンドやらといった機材をビニールにくるんで抱えていた。いつの間にか完全に助手扱いだ。

「ヒロくんはいくら濡れてもいいけどねっ」

列の二番目を歩いていた結が軽口を叩いた、そのとき。

聞き慣れない音がした。

(えっ?)

地鳴りのような鈍い響きだった。雷ではなかった。でも上の方から聞こえてきた。

ぱらぱらと小石が足元に落ちてきた。空気が震えているように思える。

それが始まりだった。宏之はハッとした。考えるより先に身体が動いていた。

「あぶないっ、桜さん!」

すぐ前にいた祐美香は上を向いたままびっくりして立ち止まってしまっていた。

宏之は機材を放り出してその手を引っ張った。

「桜さん! こっちへ!」

「きゃああっ」

「ヒロくんっ?」

「祐美香?」

次の瞬間。

すさまじい量の土砂が林木を巻き添えにしながら崩れ落ちてきた。それに合わせるように閃光がきらめき、ひときわ大きい雷鳴があたりに鳴り響いた。

そのままどれくらいの時間が過ぎたのか、宏之にはよくわからなかった。何十分も呆然としていたような気がした。でも、おそらく数十秒だったのだろう。

ふと気がついたときには、本降りになり始めた雨の中、宏之は女子大生グラビアアイドルの手を握ったまま立ちつくしていた。

あわてて手を放す。

まだ土砂崩れの音が耳の中に痛みのように残っている。

「さ……桜さん、大丈夫ですか」

「は、はい」

頬を赤くさせて祐美香は答えた。しかしすぐにその顔が蒼くなる。

「でも……道が」

「あっ」

宏之も息を呑む。さっきまでハイキングコースだったところが完全に土砂の山で塞がれていた。大きめの岩やら木の根やら幹やらが混ざっている。

「せ、先生と、菊池さんは……」

祐美香のことばはそこで途切れた。宏之もうまく口がきけなくなってしまった。

そこでポケットの携帯電話が鳴った。あわてて出るとおさななじみのお姉さんの心配そうな声が飛びこんできた。