宏之は唖然とした。
実際には、そんな会話はなかった。
(祐美香さん、ぼ、ぼくのことをそこまでかばってくれなくても……)
加奈もまた唖然とした顔になり、口をぱくぱくさせていた。
「な、な、な……なんてことを……祐美香、あなた……」
怒りが沸点を超えすぎて逆に怒る気力をなくしてしまったのか、加奈はそれきり黙りこむと、朝食には手をつけずにそのまま出ていってしまった。
「さわがしいようだけど、なにかあったのかねえ?」
入れ替わりに、ポットと急須を持ってにこにこしながらお祖母ちゃんが入ってきた。
※
強い日光がさんさんと照りつけてくる。
いちだんと蒸し暑い日和なのに現場の空気は冷えきっていた。
崖崩れやら加奈の一時帰京やらで日程は押している。スタッフ間のコミュニケーションに問題が生まれたからといって撮影を休止するわけにもいかなかったのだ。
「じゃあ今度は左手を前について。目線はこっちね」
「……はい」
女流カメラマンが簡潔に指示を出し、たわわな乳房のグラビアアイドルは簡潔に返事をするが、それ以外は誰ひとり口をきこうともしない。
(はあ……気まずいよなあ……)
宏之としてはもう見学は遠慮したかった。でも機材運びやレフ板持ちはすでに宏之の受け持ちに定着してしまっていた。
ビーチパラソルの下で祐美香がつけているのは水色のワンピース水着。豊満すぎるGカップを収めた水着の胸から上には肩紐。股間部分の切れ込みも深く、引き締まった肢体に生地がぴっちりと密着している。ビキニより煽情的とすらいえた。
撮影は進む。
「そうそう、いいよ。ワン、ツー、はいっ」
仕事に打ちこんでいると他のことはすべて忘れられるのか、加奈だけは徐々にいつもの口調や顔つきに戻ってきた。やがて。
「いいのかなあ」
はいっ、の合間にそんなことをつぶやき始めた。
初めはほとんど声に出さずに口の中でぶつぶつと。それがだんだんはっきりとしたひとりごとになってきた。
「昔から考えてはいたのよねえ……いけるのかなあ」
「……先生? どうかなさったんですか? 大丈夫ですか」
「祐美香じゃあ早すぎるっていうか、若すぎるかなって思ってたけど……いけるのかな。いいのかな」
おそるおそる結が尋ねても聞こえていない様子。
「ああどうしよう。いけるかも。いいのかも」
自分で自分に言い聞かせるようにつぶやくと、さっと宏之に顔を向けた。
「佐橋くん」
「はっはいっ!」
思わず直立不動で返事をしてしまう。こわすぎるから。
「この間みたいに、祐美香に寄り添ってくれるかしら」
「えっ? で、でも……」
そんなことを言われるなんて意外すぎた。おまけに加奈の顔からは今朝の怒りはもうすっかり消えているではないか。でもどうして?
不思議すぎて動けずにいる宏之に、女流カメラマンはもっと意外な要求をしてきた。
「ああそれから、今日はまずきみから全部着ているものを脱いでみて。早くしてね」
「ええっ?」
「聞こえなかった? 脱いで。早く」
なにしろ今朝二回殴られ一回蹴られたばかりだ。それがなかったらさすがに従わなかったかもしれないが……。
「全部よ。脱いだら祐美香の横に行って」
「は、はい……」
下着まで全部降ろした。恥ずかしさの方が勝ちすぎて陰茎は萎んでいた。真夏の湿った空気がこそばゆい。
「せ、先生……や、やだ、わたし……」
「祐美香さんがイヤがってます……先生、こんなことやめましょうよ」
宏之がそう言っても才女は聞く耳を持とうとはしない。
「いいから。早く加奈の言う通りにしなさいっ!」
こめかみをひくひくさせて怒鳴りつけてくる。やっぱり怒りは消えてないのかもしれなかった。
(だめだ……こうなったら、誰も逆らえない)
どうしていきなり自分が裸にならなければいけないのか意味不明だったが、この数日間の撮影見学でしっかり宏之は学習していた。世界は荒花加奈を中心に回っているのだ。現場では誰も反抗はできない。
(中出しのバチが当たってるんだろうか……)
全裸で大きなビーチパラソルの下に入り、水着姿のグラビアアイドルの横に立つ。
(で、でも、どうすれば……)
やるしかなかった。
夕べのようなふたりっきりというわけではない。
悩んでいる宏之に加奈がぽーんと日焼け止めの容器を投げてよこした。
「それを祐美香に塗ってあげて」
「は、はい……」
容器を軽く振ってから白いクリーム状の中身を手のひらに出す。
「じゃ、じゃあ、塗るね、祐美香さん」
「はっ、はい……」
全裸の宏之の方には顔を向けないまま、緊張しきった声できれいなうなじのグラビアアイドルが返事をする。
「肩のあたりから塗っていってあげて」
「あの、先生。ぼ、ぼくがこんな格好でいるところに、もしうちのお祖母ちゃんが来たら……」
ふと思いつき、そう言ってみたのだが。
「あっ、それなら大丈夫だと思う」
結がよけいなことを口にする。
「おかみさん、さっき玄関に鍵かけて軽トラで美容院に出かけたよ。いちばん近くても国道まで出なきゃいけないんでしょ? 当分戻ってこないと思う」
「そっ、そんなあ……」
「佐橋くん! 早くっ!」
また怒鳴られた。
手のひらのクリームを薄く広げてから、そっとグラビアアイドルの肩に触れる。
「んっ」
一瞬だけ祐美香はビクンと動いたが、さすがに一度肌を重ね合わせた相手だからか、数日前のように大さわぎするということはなかった。