女教師は最後のひとつの風船を、アーチの一番真ん中に張り付けると、教室の一番前に掛けられた時計に目をやった。時刻は夜の八時をとうに回り、さすがに校内も静まり返っている。
「先生、お疲れさまでした、おかげで助かりました」
これで明日、文化祭が始まる前に門に設置するだけだ。
「やれやれ。結局、一年生は、ふたりとも、間に合わなかったわね。山川くんこそ、お疲れさま、よくひとりで頑張ったわ」
女教師は、肩の凝りを解すように腕をぐるっと回してストレッチすると、その場で大きく伸びをした。
(う……わぁ……)
白いシャツに包まれた胸がぐっと強調されて胸がドキリと鳴った。この胸に触れたことがあるだなんて──。今思い返すと、まるで夢だったかのような出来事だ。
(いや、本当に夢だったのかも……)
白昼夢を見たのかもしれない。その証拠に、絵里子は今日だって、まるで何もなかったかのように振る舞っているのはないか。
(でも……確かに、あのおっぱいを揉んだし、あのお尻に触ったし、アソコにだって……)
柔らかで、むっちりとして、温かだった。絵里子の身体の感触を反芻していると、アソコがじゅんと熱くなってきた。
(うわっ……どうしよう……)
慌てて諌めようとしてふと思いつく。もしも、寿治が欲情していることに気がついたら、前と同じように、寿治の欲情を受け止めてくれるのではないか。
(先生ともう一度、してみたい……)
前にした時は余裕がなさすぎた。けれども、ほんの少しだけ上がった経験値でもって、絵里子の熟した肉体を味わってみたいという欲望がむくむくとこみ上げてくる。(けど……さすがに自分から勃ってしまったと自己申告するのは恥ずかしいし……)
どうしたら、先生とできるのか。
上手い誘い方がわからずに、もじもじとしている寿治に絵里子がふと目を留めた。
「君、どうしたの、黙りこくっちゃって」
「いや……あの……」
なんと言えばいいのかわからずにしどろもどろに答えると、女教師はふと気がついたように悪戯っぽい笑みを浮かべて、寿治の顔を覗き込んで言った。
「ねぇ、君、ひょっとして、前みたいなことしてくれないかなって、期待してるでしょう?」
「あっ……うっ……は、はい……」
さすがは大人の女性の洞察力だ。ずばり図星をつかれ、かーっと顔が熱くなる。
(うぅーっ、考えてたこと、バレちゃったよ)
やましい願望がバレてしまった恥ずかしさで女教師の顔を直視できず、思わず下を向いた寿治の頬を両手で包み込むと、絵里子が目線を合わせて優しく微笑んだ。
「残念だけど、ダメ」
「やっぱり……そうですよね」
塩をかけられた菜っ葉のようにしゅんとする寿治に、女教師は優しく微笑んで言った。
「あれは特別だったの……」
「特別……ですか?」
どういうことだろう。首を傾げる寿治に、女教師が続ける。
「そうよ。君が転校したてで不安そうだったのと……寂しそうだったから。でも、今の君は、もう寂しくないでしょ?」
「寂しいですよ。家に帰っても誰もいないし……」
「でも、君には可愛い彼女がいるじゃない」
「えっ!?」
「亜季さんと付き合ってるんでしょう? 先生のところまで噂が届いてるぞ」
「あ……はい……そうなんですが……」
まさか担任教師にまで、亜季との噂が届いているとは思わなかった。
(うわぁ、それなのに、ぼく、先生とまたエッチしたい素振りなんて見せちゃって……最低だ……)
居たたまれなさに穴があったら入りたい気持ちというのは、まさにこんな気分のことだろう。
「ううっ、先生、すみません、ぼく……」
「いいのよ、仕方ないわ。男の子なんだもん、いろんな女のコに興味がある時期よね」
すっかりしゅんと項垂れた寿治を見て、女教師はくすりと笑うと、ぽんぽん、と元気づけるように寿治の肩を叩く。
「まぁ、君は可愛いから、すぐに彼女ができるんじゃないかって思ってたけど。でも、正直、その相手が亜季さんっていうのは意外だったな」
「えっ!? な、なんでですか?」
「てっきり君はまみさんのことが好きなのかと思ってた。そうでしょう?」
「あ……なんで……わかるんですか?」
「君の態度を見ていればすぐにわかるわよ。ほら、一度注意したでしょう。バレー部の部活に気を取られすぎだって。君に注意した時は、体操服の女のコたちを見てるのかなって思ってたの。でも、その後、すぐにわかったわ。君はまみさんのことを見つめてたんだって」
「あの……先生、ぼく、よくわからないんです……」
誰にも言えずに心の中に仕舞いこんでいた気持ちを、本当はずっと誰かに話したくて仕方がなかった。誰に話せばいいのかわからないでいた悩みを、絵里子ならば優しく耳を傾け、アドバイスしてくれるのではないか。
「あの……先生……ぼくの話、聞いてくれますか?」
「しょうがないわね、話してごらん? ほら、そこに座って」
今にも泣きだしそうな寿治に優しい視線を向けると、女教師はゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「なるほどね、やっぱり君は、本当はまみさんのことが好きなのね。でも、亜季さんのことも嫌いじゃない、と」
「はい……」
すっかり胸の内を吐き出すと、さっきまでの途方に暮れていた思いが、幾分か晴れて、さっぱりとした気持ちになった。