「もうっ、遅いよぉ!」
「これでも急いで来たんだけど」
「こんな暗いところで、ひとりなんて、怖いじゃん。可愛い彼女が変質者にでも襲われたらどうするの?」
亜季は自分から場所を指定してきたくせに、ぷんと頬を膨らませると、さっさとベンチのほうへと歩いていってしまう。
「ごめん……」
勢いに押されて謝ると、亜季はくるっと振り返って大きな笑顔を作った。
「嘘だよ、ちょっとワガママ言ってみただけ、ね、あそこに座ろう?」
亜季がベンチを指差した。寿治と亜季とが初めて結ばれた思い出の場所だ。
こうして会うと、亜季は哀しいほどに無邪気だった。
(泣き顔とか……見たくないな)
今更ながら、決心がぐらぐらと鈍ってしまう。
「久しぶりだねー、連絡しなくてごめんね。ちょっといろいろ考えてたんだ」
亜季に導かれるまま、公園の隅のベンチに腰を下ろすと、亜季もその左隣に座った。
(このベンチで、初めて亜季ちゃんと結ばれたんだよな……)
あれはまだ十月の頭の頃だった。季節は秋から冬へと変わったというものの、つい最近のことのように思い出せる。
(どうしよう……亜季ちゃんのことを振るだなんて、やっぱりできないよ……)
思わずはっと自然に向けてしまう華やかさと、底抜けの明るさ。久しぶりに会う亜季は、やはり魅力的だった。
「なんだか久しぶりだね……って言ってもまだ8日間かぁ。学校がある時は毎日顔を合わせてたから、すっごく久々に感じるね」
亜季は指を折って数えると、寒いのか、ロングブーツからはみ出した脚を冷気から守るように、オフショルダーのニットワンピースの裾を下ろし、寿治の肩に甘えるように頭を乗せた。
「イブの日、連絡が来るかと思ってたんだけど……」
「あぁ、ごめんね。あの日、パパとママとレストランに行って、それで帰ってきて、家でケーキを食べてから、トシくんに会いに行こうって思ってたんだ。それで……」
亜季は言葉を区切ると、もたれかかっていた身体を起こしてこちらを向いた。
(あ……れ……!?)
その顔には、いつになく真剣な表情が浮かんでいる。亜季がそんな顔をするだなんて──。心当たりはひとつしかない。
(やっぱり……まみちゃんとのことを知ってるのかな……)
しかし、あの翌日から冬休みに入ってしまい、誰とも会っていないのだから知りようがない。まみにしたって、べらべらとそういったことを触れ回るタイプではないはずだ。
(他には思いつかないし……どうしたんだろう?)
話の続きを待つが、亜季は、迷うように言葉を止めて寿治の頬に手を伸ばし、じっと目を覗き込んだ。言いよどむように唇にきゅっと前歯を立てた後、ふっと目を伏せて言う。
「あのね、テレビに映ってたの。イブの日。まみちゃんと一緒に隣町のツリーを見に行ったでしょ?」
「あっ……」
そういえば、あの日、ショッピングモールでテレビの取材クルーの姿を見かけた。特に気にもしていなかったが、まさかそこに映ってしまっていたとは。何も言えないでいる寿治に、亜季が続ける。
「最初は、偶然、モールで会ったのかなって思ってた。けど……抱き合ってたよね」
「亜季ちゃん……」
「ビックリしたよぉ。そりゃあ、トシくんを見てて、まみちゃんのことが好きなのはわかってたけど……まさかまみちゃんもトシくんのことが好きだなんてさ」
だから亜季と連絡が取れなかったのだ。
(亜季ちゃん、ひとりで悲しかっただろうな……)
なんと言っていいのかわからずに、亜季の顔をそっと横目で窺うと、大きな目に涙が浮き上がり、泣く寸前だった。痛みに耐えるみたいに噛み締めた唇はかすかに震えている。
いつも笑顔を絶やさない少女の、初めての悲しい顔に、申し訳なさで胸の中がいっぱいになった。寿治がひとり、まみと心が通じあったと浮かれていた時に、目の前の少女は恋人の不実を知って悩んでいたのだ。
「……ごめん」
謝りの言葉を口にすると、亜季は唇をさらに強く、ぎゅっと噛み締めた。その目から見る見るうちに大粒の涙が湧き上がり、頬へと流れ落ちる。
「謝らないで、酷いよ……」
たしかに順番を間違えたのは寿治だ。まみとああいうことになるにしても、きちんと亜季と別れてからが正しい順序だ。その結果、こんなにも亜季も傷つけてしまった──。
「……トイレ行ってくる」
亜季はさっと立ち上がると、公園の隅にある公衆トイレへと駆けていった。
(どうしよう、困ったな……)
亜季の性格を考えて、ひょっとしたら怒鳴られたりするかもしれないと覚悟していた。それなのに、まさかさめざめと泣かれてしまうとは。罪悪感に胸がジンジンと痛むけれども、もうどうにもしようがない。ずどんと凹んだ気持ちのまま、身体の芯まで凍えそうな寒さの中、亜季の帰りをひたすらに待った。
(亜季ちゃん、遅いな……)
十分ほど待っても、亜季は戻ってこなかった。
(ひょっとして、先に帰っちゃったのかな……)
まさかトイレで痴漢に襲われていることはないとは思うが、ここまで遅いと心配になってしまう。亜季の様子を見に行くために立ち上がると、公衆トイレへと向かった。
「亜季ちゃん……いるの?」
さすがに中を覗くわけにはいかずに、外から声をかけてみたが、女子トイレはしんと静まり返ったまま返事は返ってこない。