不貞妻 詩織 視線を感じて、私……

不貞妻 詩織
視線を感じて、私……

小説:空蝉

挿絵:ここのき奈緒

リアルドリーム文庫

不貞妻 詩織 視線を感じて、私……

登場人物

たけ おり

肉付きの良いEカップバストの専業主婦。二十八歳。おっとりした性格で押しに弱い。地味で自分を表現できなかった高校時代にコンプレックスを抱いている。

みきもと ユウゴ

詩織の高校時代の同級生であり、同じ文芸部に所属していた、小太り体形の男。詩織に当時から恋焦がれており、偏執的な性根が顔に出ている。会社の重役。

たけ こうろう

詩織の夫。大学時代に詩織と出会い、後に結婚する。三十歳のサラリーマン。ユウゴの会社と仕事上の付き合いがある。

第一章 夫婦の日常

冬も盛りの十二月だというのに、空が陽気に輝いている。

「温暖化の影響かしら」

ニットセーターにスラックスという格好で外に出たのは間違いだったかもしれない。照りつける太陽を見上げて、肩先にかかる長さの黒髪を掻き上げれば、生じたわずかな風が心地よく頬を撫でた。次いで汗が滲む額を拭った後。

「……ふぅ」

自宅庭に干しておいた洗濯物を手早く取り込み、重くなった籠を抱えて、たけおりは屋内に帰還した。

戻るなり、玄関に一時的に下ろした籠の中からハンドタオルを一枚手に取る。

洗いたてでふんわりとした触感と、太陽の光をたっぷり浴びてヌクヌクの心地。二つともを思う存分甘受して、額、コンタクト着用の目元周り、整った鼻筋、頬、小ぶりな耳の裏、うなじ、首筋の順に汗を拭う。

夫の好みに合わせて家にいる時はすっぴんで通しているのが、こういう時にはありがたい。化粧崩れを気にする必要なくタオルのふんわり感と温みを味わった詩織の、一見物憂げながら「清純派美人」の部類に十二分に該当するおもてに、微笑が浮かぶ。

二十八歳、専業主婦。取り得も何もない自分が都心に程近い郊外の一戸建てに住めるのも、東証一部上場企業に勤める夫のお蔭だ。平穏緩やかに流れゆく平日正午の、強過ぎる陽気を遮ってくれるマイホームは幸せの象徴。改めて見渡し、しみじみ思う。

勤勉で明朗快活、誰からも好かれる気質の夫と結ばれて、早六年。何事もなく、人並み以上の生活を過ごせている。

──私は、幸せ者だ。

こうろうさん。今頃、どうしてるかしら」

こぼすと同時に脳裏に浮かんだ、最愛の夫の立ち姿。肩幅も広く、百八十センチの長身を誇る彼の大きな手と厚い胸板は、触れるだけで詩織に安心を与えてくれた。

筋肉質でがっちり体格の彼は歩く速度も人並み以上に速い。夫婦で一緒に歩くと、二十センチ程背の低い妻の側はいつもついていくのに難儀する。

歩幅の差も相まって遅れがちの妻を、彼は時折立ち止まって待ってくれた。どちらかといえばせっかちなのに、この時ばかりは優しく笑って迎えてくれる。愛されている実感が得られるその瞬間を、詩織は愛しい記憶の一つとして大事に秘め続けていた。

『ははっ』

爽やかな風貌に似合った軽やかな笑い方をして、スポーツマンらしく刈り上げた頭髪を照れ隠しに掻く。その様がまたなんとも可愛らしい。

面と向かって伝えれば「今年三十になる男に、可愛いはないだろう」と言われるに違いないと思うから、記憶にとどめておいて一人になった時に回顧する。それもまた、同じ事の繰り返しで退屈になりがちな日中の、密やかな楽しみとなっていた。

大学時代に出会った当初から変わらぬ太陽のような気質の、二歳年上の夫。出会ってからは九年、結婚して今年で六年。その間あった様々な喜びの記憶を思い起こしながら、リビングに下ろした洗濯籠の中身を手に取った。

一人ぼっちのリビングで、フローリングの上に敷かれた絨毯に腰を下ろし、籠から取り出した洗濯物を一つずつ丁寧に畳んでゆく。夫の物、自分の物。小物類はもちろんの事、下着の上下、衣服の種類によって分けて重ねる。

夫は几帳面で、雑な仕事を何より嫌う。新婚当初は幾度か叱られた事もあった。今となっては、たまに「あの時は」などと夫婦間で笑い話の種となるような良い記憶だ。

陽の光をたっぷりと浴びた洗濯物の角や端をぴったり合わせて畳むのも、夫から指定された複数の畳み方を物によって使い分けるのも、カッターシャツを皺なく仕上げるアイロンのかけ方も身に染みついて、もはや自然にこなせてしまう。彼の妻として過ごした時間の積み重ねの結果と思えばこそ、苦はなく、胸が温かい。

洗濯物を畳み終えた後は、しばしのティータイム。買い物に出るまでの間を過ごすリビングで一人、テレビをぼんやり眺めるのも、もう慣れたものだ。ワイドショーの内容には興味がないが、粗筋を聞きとどめておけば近所の主婦仲間と会った時に話を合わせる事ができる。

ご近所の奥様方と違って噂話や芸能人の話題に興味がなく、口下手で、内向的なきらいのある身としては、欠かせない日課となっていた。

ワイドショーが終われば、やっと趣味の読書に耽る時間となる。一日の中でも指折りの楽しい時間の到来に、自然と詩織の目元が緩み、唇が綻ぶ。

「……よし、今日はこれ」

その日の気分に合わせて手持ちのエッセイや詩集の中から選び出し、そこに描かれている別世界に想いを馳せる。想像して楽しむのが得意な若妻にとって、まさに至福のひと時だ。