不貞妻 詩織 視線を感じて、私……

「睡眠薬入りの酒をたらふく飲んだから、しばらくは起きないねぇ。……旦那さんの好きな銘柄を持参した甲斐があったよ」

背広を脱ぎ、ネクタイも緩めて、我が物顔でくつろぐ男が暴露する。座卓の上には彼の持参した紙袋の中身──ブランデーボトルが一本。数杯分中身の減った状態で鎮座していた。

幸太郎は基本ビール党だが、年に数度、祝いの日などにブランデーを飲む。その事実と好みの銘柄を、ユウゴは盗み見た詩織の携帯電話のメール内容から知っていた。

幸太郎を眠らせる。そのためだけに飲み屋から一度自分の住み家へと立ち寄る手間を重ね、あらかじめ睡眠薬を仕込んだボトルを持参した──。

嬉しげに計画の成功を語る男のはしゃぎ口調が、詩織の曇り顔にさらに苦悶の色を刻む。腹立たしさはとうに過ぎ、ただひたすらに沈痛な感情が若妻の胸を蝕んでいた。

気づいていれば、止められたかもしれない。今日は都合が悪いからと玄関先で追い返しておけば。夫に叱られ呆れられただろうが、最悪の事態を招かずに済んだ。

(なのに……また、この男と二人きりに……なってしまった……)

陵辱の露見を恐れるあまり、何もせず、どうか仕出かしてくれるなと、祈り見守っただけ。いつも、そうだ。しくじってから、遅きに失したと悔やむだけ。

「へへ、ほら」

消沈した供物をより追い詰める、容赦のない一手を男が繰り出す。ユウゴが見せつけた彼自身のスマートフォンの画面には──あの、悪夢の夜の痕跡。詩織が眠っている間に撮ったであろう、半裸で触れ合う男女の姿が映し出されていた。

「会えない間、何度これらの写メでオナッたことか。一日五回として、三か月だから……ざっと四百五十回かぁ。……でも今日はまた、本物を味わえるんだ。そう考えただけで、さっきから勃起が収まらないんだよぉ」

異常な性欲の強さと執着性を窺わせる発言。加えて注ぐ蛇蝎の如く陰湿な視線に、全身を透かされ舐られているような気がして、詩織の背に耐え難い怖気が奔る。

その一方で、先ほど目にした画像が瞼裏に焼きつき離れないでいた。

昏睡状態で脚を広げている自分と、その股に顔をうずめるユウゴという構図が、悪夢の夜、股の根に響いた禁忌の肉衝動を否応なしに思い出させる。

「……っ、どう、して……今になってっ」

若妻の意図せぬ身じろぎが、より一層男の興を誘う。

悔しさと底知れぬ不安を堪らず吐きつけた詩織に対する返答は、改めて異常な執着性と偏執性、強過ぎる性欲を印象付ける代物だった。

「待ってれば、我慢できなくなった詩織がまた来てくれるって思ってたんだけどね。……ボクの方が我慢しきれずに来ちゃったよ。詩織の唇。おっぱい、黒髪。お尻にマ○コ。全部、全部っ。一刻も頭から離れなかったんだよぅ」

家主の目が醒めぬのを良い事に、立ち上がり、歩み寄って、性欲で煮え勃つ股間を家主の妻の顔に近づける。嫌がり顔を背けると、より嬉々として、若妻の頬に熱い膨らみを押しつけてきた。

「や、やめて……っ。幸太郎さんが起きたら、貴方だって困るでしょう!?」

「ブランデーと睡眠薬の組み合わせは効くからねぇ。揺り起こさなければ、翌朝までぐっすりだと思うよぉ。安心した? それとも……ドキドキ、した?」

「ふざけないで……っ」

いくら起きないと言われても、不測の事態に怯える心根が安らぐはずもない。眠っていようと、夫の目の前で別の男に弄ばれる事態そのものが若妻の羞恥と拒否感情を煽ってやまない。

一方で、夫の前で不埒な真似に及ぶユウゴに対する怒りを吐き出したくとも、「夫を起こしたくない、知られたくない」との思いが勝り、声量を絞らざるを得ない。無力感はすぐに焦れへと変化して、若妻の身を内から炙りだす。

今すぐこの陵辱者の前から逃げ出したい。でも逃げればきっと、写真は夫の目に触れるだろう。ユウゴの執着性と異常性を少なからず理解しているだけに、そう思う。

「言う事を聞いてくれたら、写真は誰にも見せないよ。それに……今日はセックスはしなくてもいいから」

惑い慄く詩織の胸中を推し量ったかの如きタイミングで、男が猫撫で声を発した。

「……っ。し、信じられるわけ、ないじゃないっ……」

異常な性欲の強さを自ら語り、仕事相手が眠る部屋でその妻に股間を押しつける男の言とも思えない。努めて潜めた声の代わりに、吊り上げた眼で詩織が再度問い質す。

それでも──性器同士の結合はない、との申し出は、袋小路に至り淀んでいた心根に、一筋の光明となって注ぐ。前回よりもハードルの下げられた提案を前にして、それで秘密が守られるのならば、との思いが、今もユウゴに見つめ続けられている瞳に、色濃く浮かび出てしまった。

「今取り組んでる事業はかなりの規模だから。それを成功に導いた立役者ともなれば、旦那さん。会社での評価もうなぎ上りだろうねぇ。係長からもう一段、ステップアップできるかも」

姑息な駄目押しを連ねる陵辱者の、舐りつくような視線を浴びた直後から、怖気と共に股に蓄積する疼き。その正体には、あえて踏み込まぬまま、五分ほど。実際異常に長く感じられた沈黙を続けた後に、ネトつく唾液を振りきり、詩織の唇が動く。

「……し、下は絶対に脱ぎません。セッ……クスは絶対、しない。約束……して」