不貞妻 詩織 視線を感じて、私……

ドレス同様にあらかじめ用意しておいたピンクのリップで唇を彩れば、さらに媚びる色合いが強まり、後ろめたさを凌駕する期待感が増長する。

(……ユウゴ君が見たら、どんな顔するかしら。喜んでくれるはず、よね……)

ドレスも、リップの色も、ユウゴの好みに合わせて用意した物だ。だからきっと興奮も露わに、熱視線で薄着越しの肌を透かし舐るはず。リップの味がしなくなるまでネチネチとした唇愛撫を施して、惚ける様も凝視し続けてくれる──。

「……っ、は、ぁ……っ」

想像しただけで恋しさに憑かれた股座が疼き、今すぐ指で慰めたい衝動に駆られた。

(駄目。あと少しの我慢で、もっとずっと良くなれるんだもの)

半月ぶりとなる逢瀬を目前に、自慰するなんてもったいない話だ。この身の火照りは、彼に鎮めてもらうのが一番。同じ性癖を有する者同士ゆえの強い信頼と依存が、すでに心身の隅々にまで根を下ろしていた。

規則的な生活を遵守し、健康優良ぶりを常々誇る幸太郎が、一度眠れば途中で目を覚ましたりしない事。妻としてその事実を知っていればこそ、別の男への恋慕が止め処なく渦を巻く。

(幸太郎さんが起きる前に、戻ってくればいい。それで、でも、それだと数時間しか……もっとゆっくりユウゴ君との露出セックス、楽しみたいのに)

踏ん切りをつけられぬ自身の意気地のなさに辟易しつつ、とにかく今は一刻も早くユウゴのもとに向かいたい。その一心で、身支度を終えた。

不貞を働く心苦しさが皆無となったわけでは決してない。だがそれ以上に、求めてくれるユウゴによく見られたい、より特別な存在として意識されたいとの思いが、会えぬ日が続くほどに比重を増して、飢えた女体を突き動かしていた。

(早く逢いたい。ユウゴ君ならきっと、目を合わせてすぐ私を抱き寄せてくれる。キス、してくれる。私を見つめて、離さない。……満たしてくれるもの)

慕情にせっつかれ続け、盛りのついた女体を、もはや一刻たりともとどめる理由が見当たらない。三月に「我慢しきれなかった」と告げて再び姿を見せた、あの時のユウゴの気持ちを、今なら心底理解できた。

夫と二人で築いてきた平穏な日々を色褪せて感じるようになる一方で、ユウゴとの密会を心待ちに夢想する悦びの比重が日ごと強まっている。もう「普通」には戻れない自覚を抱いて久しい不貞妻は、迷う事なく余所行きの靴を手に取った。

靴を履くなり弾みたがる足を努めてそろりと這わせ、玄関を出る。それからしばらく歩き、自宅からやや離れた道端でハイヤーを呼んだ。

待つ間に一度だけ振り返り見た我が家は、遠巻きに眺めている事と、夜の暗がりの中という事を差し引いても、小さく、煤けて感じられた。

通い慣れたユウゴの居室の玄関を潜り、先刻鳴らしたインターホンを聞きつけやってきたユウゴが期待通りの喜び様なのを目視した途端、詩織は溢れる嬉しさそのままに彼の腕の中へと飛び込んだ。

全てを曝けだす場で、すでにもっと恥ずかしい場面を度々見せてきた、心を許し通じ合える相手同士。互いに遠慮する気配は微塵もなかった。

「へへ。お帰り、詩織」

よれよれの着古した半袖シャツにゴム紐ズボンという、リラックスしきった私服姿の彼が、腕の中の温みにより一層だらしない表情となって紡いだ言葉。

「……う、ん。ただいま」

詩織は照れつつも、躊躇する事なく微笑みを添えて応じた。

高校時代の制服で結ばれて以降、五月の半ばまでは週三度のペースで平日の昼に密会し、「露出シチュエーションを想定しながらのセックス」に費やした。

想像だけで物足らなくなって以降は、五月に一度、六月には二度。露出性癖をより愉しむための夜の逢瀬を、幸太郎の海外出張に合わせて都合をつけ、重ねている。

おかえり、ただいまと交わす取り決めとなったのは、六月最初の逢瀬の時。以来三度目となるものの、未だに面映ゆさが著しい挨拶を終えて、詩織の頬に赤みが差す。

羞恥は後の悦の種となると知ってもいたから、包み隠さず露わにする。

重ねてきた密会も、七月に入ってからは初となる。過去三回は夫の海外出張に合わせていたため一泊して夜通し堪能できたが、今回に限ってはユウゴの仕事の都合で、幸太郎の帰国後、宿泊を伴わない短期の逢瀬と相成っている。

ひと月ぶりという事情も重なり、当然の如く見つめ合う互いの視線にも熱がこもった。

「夜の散歩をするのにもってこいの薄着だね。詩織の事だから、どうせ、すれ違う人みんなにじろじろ見られちゃう、なんて想像しながら選んだんでしょォ」

「う、ん、いっぱい見られるかもって思っただけで、鏡の前で疼いてきちゃって……自分で、慰めそうになっちゃったの……」

秘すべき事を知られて羞恥、もしくは嫌悪するのが通常なのだろう、と思いながら、詩織は「気づいてもらえた」「正しく理解されている」事にこそ喜びと悦びを見出して火照りを帯び、一層媚色の増した顔を、彼の唇に迫るように差し出す。

ユウゴと会えない間は自慰で火照りを鎮めるしかなかった。夫との交合に飢えていた頃でも月に一、二度する程度だった自慰の回数は、高校の制服姿で交わり、露出性癖を受け容れて以降、増加の一途をたどっている。