不貞妻 詩織 視線を感じて、私……

ユウゴが堂々とした態度を身に付けた理由こそ、又聞きとはいえ情報元があったが、他は全くの推測に由来する悪口でしかない。

高校時代にもああして、人の噂話を虚実織り交ぜて吹聴して回る輩が居た。自分達が楽しめればいいという考えで話を盛っておいて、別の話題ができればケロッと忘れてしまう、無責任極まりない、無自覚の悪意を垂れ流す連中。高校時代の自分は、彼女達のような者と付き合うのが特に億劫で、孤独を選び取ったのだ。

同じように高校時代孤独を選び取っていたユウゴへの同情と共感が強くあったために、詩織の怒りは収まらない。

なのに戸を開けて怒鳴り込めなかった不甲斐なさに、再び自虐が芽吹きもした。

沈鬱な面持ちでトイレを出ると、真向かいから、先ほどまで噂の的だった男がやってくる。偶然なのだろうがタイミングの悪い登場に、バツの悪さを覚えた詩織の足は自然と鈍った。

「あ。いたいた。大丈夫? ちょっと戻って来るのが遅いから気になっちゃって」

「あ、あの幹本君。私そろそろ……帰ります」

楽しい時間を供与してもらったのに庇えなかった申し訳なさからくる居心地の悪さを覚えつつ、何も知らぬユウゴに帰宅の意思を告げる。俯き表情を隠す詩織に対し、ユウゴはにんまりと屈託のない笑みを浮かべ。

「そっか。じゃあ、ボクがタクシー手配するから。竹谷さんはロビーでちょっと座って休んでなよ。まだ足元ふらついてるしさ。タクシーが着いたら知らせるから、少し静かな場所で休んでた方が良いよ」

饒舌に、気遣いの言葉をかけてくれる。

(やっぱり、悪い人じゃないわ)

外見で判断するあの三人連れの方が、よっぽど卑しい。またふつふつと怒りが生じかけるのを、口中の唾を飲む事で押し流す。

「……ごめんなさい」

反比例して込み上げた申し訳なさにせっつかれ、詩織は詫びの言葉を口にした。

「ん。いいよいいよ、これくらい手間の内に入らないから」

手間取らせた事について詫びられたと受け取ったユウゴが、ニタッと口角を上げて笑う。それは生理的嫌悪感を催さずにいられない、卑屈と猥雑を含有する薄笑みだったのだけど──。

詫びた理由を告げぬ己の卑怯さを悔いて俯く詩織の目に留まる事はなかった。

夢を、見ていた。

いつから見ているのか、どこから夢に移ったのか判然としないながらも、夢だと確信を持てたのは、内容に既視感を覚えたからだ。

三日前、偶々読んだ小説の中の一場面。主人公である妙齢女性が、数年ぶりに再会した想い人の男性と肌を重ねる流れを再現する卑猥な夢に、詩織の意識は浸っていた。

玄関も窓も全て締め切られた、互いの体臭と埃の匂いの立ち込めた室内で、ベッドの上に寝かされた女と、それに覆い被さる男。構図もやはりあの小説と同じだ。

『ああ、綺麗なおっぱいだ。吸うよ、いいね』

うっとりと惚けた声で告げる全裸の男は、幸太郎の姿と声をしている。

彼に組み敷かれ、カーディガン、ブラジャーの順で脱がされて、今しがたワンピースまで肩からずり落とされた、女。夫の前に曝したEカップの双乳に、期待を孕ませ胸をときめかせていたのは紛れもなく詩織自身だった。

(こんな夢を見るなんて、私……。はしたない……)

強い羞恥が胸を締めつける。

けれどその一方で、もう何年も言われた事のない性的な言葉を、夫の声で投げかけられるという状況。夫の目がいつになく爛々と情欲に輝いている、夢ならではの至福の事態から、逃れたいとは思わなかった。

恥じらう妻を愛しげに見下ろす夫の顔が、そっと妻の右乳房に接着した。優しく夫を受け止めた乳の膨らみが、彼の身じろぎに合わせてプルプルと揺れ弾む。

『ぁ、ん。くすぐったいわ。あなた……ひ、ぁっ』

ちぅ……と彼の唇が右の乳首を吸う。同時に左の乳首を二本の指で摘まみ、絶妙な力加減で捏ね始める。

『や、ぁぁ……んっ。乳首ジンジンしちゃう……明日にはもうお別れなのに。忘れられなくなっちゃう……』

小説と同じ文言を思い浮かべながら、自ずと火照った内腿を摺り合わす。すると、小さいながらもそれとわかる湿った音色を股の付け根が奏でだす。

(あぁ、恥ずかしくて死にそう……でも、これは一時の夢。だから……)

小説の中の主人公、想い人に素直にぶつかっていった彼女になりきって、性的な鬱屈を解消してしまえばいいのだ。夢の中の出来事であり、夫相手の懸想でもあるのだから、負い目を感じる必要なんてない。

意を決した妻の表情を見て取って、微笑んだ夫が乳房に口づけてくれる。その甘美な衝撃に溺れ、疼きを蓄えた乳房が、夫の口が離れるのと同時にぷるんと跳ねた。

『もう、濡らしているんだね。足を広げてごらん』

夫の逞しい手がワンピースのスカートを捲り上げ、露出した妻の下腹部に視線の熱を突きつける。堪らず震えた両腿を指でなぞりながら、夫は優しい口調で次なる行動を促してくれた。

(あぁ……私の恥ずかしい場所に、幸太郎さんの視線が、じっ……と、突き刺さってるの……感じる。恥ずかしくて、まともに向き合えない……っ)

けれど羞恥に溺れたその分だけ、喜びと悦びが天井知らずに湧いた。求められているという実感が、渇いていた若妻の心と股に潤いをもたらす。

応じておずおずと両脚を開き、ストッキングとショーツの二重の防備に覆われた股間を、伴侶の眼前に曝す。脆いストッキング生地を破かれる事に期待して、惚けた視線を彼の手指に注ぎもした。