新妻【贖罪】 私は牝になる

三角巾は見当たらず、腕には包帯すら巻かれていない。薄々気づいてはいたが、やはり怪我は嘘だったようだ。だからといって、責める気にはならない。夫人が入院しているのを、自分の目で確かめてきたから……。

「お見舞いに行ってくれたそうですね。家内から聞きましたよ」

酒井は病院に寄ってきたのか、美帆が夫人に会ったことを知っていた。

「はい……」

リビングに立ちつくして、無意識のうちにがっくりと首を折る。

怪我をした綾乃夫人に会ったことで、夫が起こした事故の責任を痛感していた。育ちのいい新妻が、しおらしい態度になるのは当然のことだった。

しかし、中年男の粘りつくような視線を感じると、嫌でも昨日のおぞましい記憶がよみがえってくる。穢らわしい肉塊をしゃぶらされて、卑猥な相互愛撫で初めてのオルガスムスに追いやられてしまったのだ。

(晃司さん……私はどうしたらいいのですか?)

すべてを投げだしたくなるが、愛する夫を裏切ることだけはできない。

じつは酒井が来る少し前に、晃司がゴルフ場から電話をかけてきた。今日は飲んで帰るので遅くなるという。でも美帆にはわかっていた。責任感の強い夫が、ゴルフ帰りに病院に寄るつもりだということが……。

やはり昨日のことは自分の胸にしまっておいて正解だと思う。事故は夫の不注意だが、それを挽回しようとがんばっているのだから。

「奥さん、こう暑いとアイスコーヒーが飲みたくなりますなぁ」

そう言われれば無視するわけにはいかない。美帆は屈辱を噛み締めながらも対面式のキッチンに向かう。そして夫のために用意したコーヒー豆をき、たっぷりの氷を使ってアイスコーヒーを作った。

無言のままガラス製のローテーブルに置くと、酒井はソファーを軽く叩いて座るようにうながしてくる。

「わ、私は……立ったままで結構です……」

頬を引きつらせて断るが、男は強い調子で顎をしゃくってきた。

途端に嫌な予感がこみあげてくる。このままでは昨日の二の舞だが、今は怒らせないように穏便に済ませてもらうことが重要だった。

「失礼します……」

美帆は硬い表情で、男の隣に腰をおろした。

すると酒井は喉をゴクゴクと鳴らしながらアイスコーヒーを飲み干し、またしても肩に手をまわしてくるではないか。

「あ……こ、困ります……」

当たり前のように抱き寄せられるが、激しく抵抗することはできない。綾乃夫人の痛々しい姿が脳裏に浮かび、申し訳ない気持ちが先に立ってしまう。

「緊張してるんですか? 奥さんと私の仲じゃないですか」

なれなれしい態度が不快でならない。やんわり押し返そうとするけれど、男はますます手に力をこめてくる。

(ああ、いやよ……このままだと、また……)

饐えたような汗の匂いが鼻腔に流れこみ、思わず眉根を寄せて顔を背けた。

「今日もお手伝いしてもらえますよね? 家内が入院してると、なにかと不便でしてねぇ。とくに下半身のほうが」

「や……駄目です、酒井さん……」

肩を撫でまわしていた手のひらが、ゆっくりと胸もとに滑りおりてくる。酒井の鼻息が荒くなり、また唇を犯されるのかと恐ろしくなってしまう。

シャツの上から乳房を包みこまれて、強烈な悪寒がぞわぞわと全身にひろがっていく。さすがに耐えきれなくなり、思わず切なげに身を捩らせる。と、そのとき、綾乃夫人にかけられた言葉が耳の奥によみがえった。

──旦那さんと二人なら、どんな困難でも乗り越えていけるわ。

病室では照れ臭かったけれど、実際はずいぶんと勇気づけられていた。さりげないひと言だったので、なおのこと心に響いたのかもしれない。

(私は一人じゃないの……晃司さんと一緒だから……)

美帆の胸には、夫とともに罪を償っていこうという決意が湧きあがっていた。

夫婦で別行動をとっているが、お互いを大切に思っていることに変わりはない。だからこそ、晃司は事故のことを隠し続けているのだ。

「家内は二、三日で退院します。それまでは、しっかりお相手願いますよ」

「で、でも……あンっ、やっぱり困ります……」

「心配しなくても、しつこく付きまとったりしませんよ。今だけ性欲処理を手伝ってくれればいいんです。ああ見えても、家内は嫉妬深いですからねぇ」

酒井はシャツ越しに乳房を揉みしだき、気色悪い猫撫で声で囁いてきた。

もちろん男のことは嫌悪しているが、ほんの数回我慢すれば自分たちの生活は守られる。しっかり者の綾乃夫人が退院すれば、駄目亭主の酒井も無謀な行動を取れなくなるだろう。

そんな打算が働いていたことも、美帆の抵抗を弱める要因になっていた。いずれにせよ、心に隙が生じていたのは間違いない。

「あっ……」

手首を握られたかと思うと、いきなり男の股間に引き寄せられてしまう。スラックスのなかの男根は硬直し、布地越しにも熱気が伝わってきた。

「やっ、やめてください──」

「ご主人の会社に知られたら困るんでしょう?」

慌てて手を引こうとするが、事故のことを持ちだされると弱かった。途端に脱力して、美貌をうつむかせてしまう。

「うちのが退院するまでということで、納得してもらえませんかね? 奥さんがオーケーしてくれれば、私の口が滑ることもないと思いますよ」

「本当に……奥様が退院したら終わりにしてくれますか? それと……主人には絶対内緒にしてもらえますよね?」