家族三人なら、きっと楽しい夕食になっただろう。しかし、招かれざる客の牛島が、あつかましくも食卓についていた。
できるだけ娘を近づけないよう牛島の隣には浩志が、正面には由香里が座った。だが、牛島はビールを呷るように飲みながら、やたらと沙緒里に話しかけた。
「沙緒里ちゃん、知ってるかい。ママは会社で大人気だったんだよ」
「え、そうなんですか? 知りませんでした」
「沙緒里ちゃんのママを狙ってる男はたくさんいたんだ。でもね、課長が横からさらっていったんだ。だからパパのことを恨んでる男はたくさんいるんだぞぉ」
冗談混じりだが、牛島は自分の気持ちを話しているのではないか。結婚前に散々モーションをかけられていた由香里は、牛島に恨まれているような気がして不安になってきた。
だが、沙緒里は嫌がる様子もなく、楽しそうに話を聞いている。人見知りしない性格なのはいいが、まだ人を見る目は養われていない。だから、できることなら牛島と話をさせたくなかった。
「牛島さん、あんまり僕を悪者にしないでくださいよ」
「だって本当のことじゃないですか。ハハハッ。さあ、課長も飲んで飲んで」
「いや、僕はもう……」
「そんなこと言わずに、今夜は引っ越し祝いですから。ほら、景気よく一気にグーッとやってくださいよ」
牛島はビール瓶を持って、こまめに酌をする。浩志はそれほど酒が強くないので心配だったが、お祝いだと言われれば飲まないわけにいかないのだろう。すでに顔が真っ赤になっていた。
「おじさん。ママの若い頃の話、もっと聞きたいな」
沙緒里が話しかけるのを見て、由香里は慌てて遮った。
「そろそろお風呂に入りなさい」
後ろめたいわけではないが、牛島に余計なことを吹きこまれたくない。沙緒里をバスルームに連れていくと、あがったらすぐ寝るように言い含める。とにかく、この宴会を早くお開きにしたかった。
リビングに戻ると、牛島はまだビールを呷っていた。浩志もずいぶん飲まされて、呂律が怪しくなっている。だが、仕事の話をしていたので口を挟みづらく、二人はさらに飲みつづけた。
「そんなに飲んで大丈夫?」
見かねて声をかけたときには、すでにだいぶ酔いがまわっているようだった。引っ越しの疲れも溜まっていたのだろう。もう半分寝ているような状態だった。
「おや、これはいけませんな。ベッドで横になったほうがいいですよ」
牛島はなぜか嬉しそうにニヤついていた。
腹立たしさを覚えながらも、由香里は夫に肩を貸して二階の寝室へと向かった。ベッドに横たえると、パジャマに着替えさせて布団をかける。ほどなくして浩志は鼾をかきはじめた。
リビングに戻ると、牛島は飽きもせず、まだビールを飲んでいた。
「もう遅いですから……」
どんなにうながしても、まったく聞く耳を持たない。浩志がいなくなったことで、態度がさらに大きくなっていた。
「鮨が残ってるからいただきますよ。傷んだらもったいないでしょう?」
牛島は鮨を摘んではビールをグビリと呷る。相当酒が強いらしく、まったく酔っている様子はなかった。
「あ、もう終電がないな。今夜は泊まらせてもらうかな」
「え? こ、困ります、主人に聞かないと……」
「課長なら絶対にいいって言いますよ。それに、あれだけ飲んだら朝まで起きないでしょう」
どうやら酒が弱いことをわかっていながら、無理やり飲ませたらしい。嫌がらせのつもりだろうか。この男の考えていることがわからなかった。
「俺はソファで寝かせてもらうからお構いなく。じゃ、お休みなさい」
牛島は薄汚い黒のポロシャツとグレーのスラックスのままソファに寝転がり、とっとと目を閉じた。もうなにを言っても聞き入れそうになかった。
(なんて自分勝手な人なの……)
由香里は怒りを覚えるが、懸命に言葉を呑みこんだ。無理に追い出したりすれば、夫に迷惑をかけることになると思った。
2
由香里は寝室の鏡台の前に座っていた。
鏡台に置かれたスタンドライトの明かりが、室内を飴色に照らしている。寝室にも新築の匂いが漂っており、吸いこむほどに嬉しさが胸にひろがっていく。あの男さえいなければ、もっと気分よく眠りにつけるのに……。
三面鏡には薄いピンク色のネグリジェを着た自分の姿が映っている。寝るときはブラジャーをつけないので、乳房の丸みがはっきりとわかり、膨らみの頂点に先端のポッチが浮かびあがっていた。
すぐ隣にあるダブルベッドでは、浩志が寝息をたてている。牛島に飲まされて、すっかり酔い潰れてしまった。夫は酒を飲むと深く眠ってしまう。このまま朝まで起きることはないだろう。
引っ越し初日の夜はロマンティックな気分になるかもしれない、と密かに期待していただけに少し残念だった。
(疲れてたみたいだし……家族のためにがんばってくれてるんだもの)
夫の苦しい立場を思うと責めることはできない。しかし、牛島のふてぶてしい態度には苛々が募る。あの小汚い中年男が、新築のリビングで寝ていると思うと落ち着かなかった。
由香里は気を取り直して三面鏡を覗きこんだ。
風呂からあがったばかりで身体が火照っている。皮膚が乾燥しないうちに、乳液をたっぷりと全身に塗りこんでいく。顔から首筋、鎖骨から乳房、腹部から下肢にかけても、マッサージをするように潤いを与えていった。