家庭教師と隣の母娘 誘惑の個人授業

隣に、運転席から降りた繭が並んだ。その瞳も夕日の色が塗られている。

「すてきな夕焼けでしょう。ここは健治さんとわたしがよく来た思い出の場所よ。健治さんが亡くなった後も、茉莉を連れて来たわ」

「本当にきれいな場所ですね」

「ここはただきれいなだけの場所じゃないのよ。あまり有名ではないけれど、知る人ぞ知る心霊スポットなの」

「はあっ!」

「心霊スポットよ」

と、言いきる繭の顔はうきうきしている。とても怖い話をする表情には見えない。

(ああ、繭さんは怪奇小説の作家だっけ)

「本屋で売っている怪談実話集にも、ここで起きたことが載っているのよ。恋人二人がドライブをして、ここで夕焼けの景色を楽しんだ後に、車にもどったの。来たときと同じに、彼女は助手席に座り、彼は運転席に座って、エンジンをかけたら」

いったん、繭の言葉が切られた。

優也は息を呑む。繭がいかにも深刻な顔つきではなく、ニコニコしながら話しているのがかえって怖い。沈黙に耐えられずに、優也からつづきをうながした。

「かけたら、どうなったんですか」

「後部座席に、人がぎっしりと乗っていた、というより、つまっていた。普通の乗用車なのに、十人以上の顔が、前の二人をじっと見つめてくるの」

気がつくと、太陽は沈みきり、展望スペースは山ならではの濃密な夜の闇に包まれていた。街灯はあるが、その白い光はあまりにも頼りない。

「彼はパニックを起こして、アクセルを思いっきり踏みこんだ。むちゃくちゃな運転だけど、幸いにも事故を起こすことなく、山を下りられた。後部座席の集団がいつ消えたのかはわからないけれど、とにかく姿はなくなっていた」

「よかったですね」

あいづちを打ちながらも、優也は周囲の闇の気配を探っている。今のところ、なにも感じない。

「二人とも、山の夜の雰囲気に呑まれて幻を見たのだろう、と自分を納得させて、その夜は彼の家で過ごしたのよ。翌朝、自動車の様子を見ると、車内のあらゆるところに、泥でできた大小様々な手形がびっしりとついていた」

「そ、それ、本当の本当にあった実話なんですか」

「その怪談実話本の作者とは友達だけれど、きちんと体験者に取材をする人よ」

「ということは後部座席にいたのは、ここで死んだ人の幽霊かな」

「それはどうかしら。わたしも興味を持って、図書館で新聞を調べたけれど、この道路ができる前までさかのぼっても、このあたりで事故も殺人事件もなかったわ。天災や戦争で大勢亡くなったという記録もないのよ」

「それじゃ、その幽霊はいったいなんだろう」

「事故の記録はないけど、このあたりの上空で、未確認飛行物体を目撃したという記録はあるわね」

「UFO!? 宇宙人ということですか!」

優也は顔を上げて、空に目をやった。もう完全に夜空になり、満天の星々が輝いている。真夏の星空だというのに、なぜだか冷え冷えと感じてしまう。

冷たい星の光の下で、繭はより美しく見えた。

「空を飛ぶ妖しいものが、宇宙人の乗り物とは決まっていないわ。人々がそう考えるようになったのは、つい最近のことよ。それ以前は、天狗だったり、妖怪だったり、妖精だったりしたのよ。だから、後部座席にぎっしりといたのは、そういうたぐいのものだったのかもね」

「あの、今現在のこれは、デートなんですよね」

疑問を浮かべる優也の口に、繭はキスをした。チュッというかわいい音が、夜の闇の中に鳴る。

「ええ、デートよ。健治さんとも、よく心霊スポットや古典怪談の聖地をめぐるデートをしたわ。健治さんはわたしにセックスの楽しみを教えて、わたしは健治さんに怪奇の楽しみを教えたのよ」

闇に、繭の笑みが輝く。

「これからも、すてきな場所にいっしょに行こうね」

「いいですね」

としか、優也は答えられない。

できれば一刻も早くこの場を離れたいが、自分からは言い出せなかった。

優也はマンションの自分の寝室に敷いた布団の上で、大きな息をついた。

夜の展望スペースから繭おすすめの料理のおいしい居酒屋へ移り、マンションへもどって、また一戦交えた後に、パジャマに着替えたところだ。

伸ばした左腕には、優也の予備のパジャマを着た繭が頭を乗せて、枕にしている。

「ねえ、優也くん。眠る前に寝物語を聞きたくないかしら」

優也が顔を左へ向けると、繭の笑顔と目が合う。見るからに話したくてうずうずした顔つきだ。

「はい、聞きたいです」

「展望スペースの車の実話には、つづきがあるの」

(あ、やっぱり)

とは、優也は口に出せない。

「彼は怖くなって、車の中の手形をふき取ってから、売ったのよ。一年後に、彼はたまたま交通事故の現場に通りかかった。乗用車が大型ダンプに突っこんで、運転席がグシャグシャにつぶれている。運び出された死体は、人間の形をしていなかったそうよ」

楽しげに語りながら、繭の手の指が優也の脇腹をなでる。

寝室にいないはずの誰かの手のように、優也は感じてしまった。

「彼は気づいたの。乗用車の色は違うけれど、自分が売った車と同じ車種だって。そうして見てしまった。つぶれた運転席とは対照的にきれいなままの後部座席に、ぎっしりと人が乗っている」

優也は大声で言った。

「寝ましょうっ! すぐに寝ましょう! 電灯はつけたままでっ!」