家庭教師と隣の母娘 誘惑の個人授業

「さすが作家だねえ」

「というわけで」

茉莉がにっこりと、優也に笑いかけた。ついさっき繭が見せた笑顔に似ている、と優也は感じる。

「母さんがいない間に、先生とわたしだけの夏を楽しみましょうね」

優也と茉莉は二時間近く、北上する列車に乗っていた。

両腕を使えるようになった優也の服は、ランニングシャツとハーフパンツではなくなった。半袖の白いポロシャツに、青いデニムのパンツに白いスニーカーという、女と二人きりで出かけるにはかなり力の抜けたファッション。

茉莉とは最初から普段着で会っていたために、二人の状況が大きく変わっても、今さら恰好をつける気にはなれなかった。

茉莉のほうは、白いブラウスに、膝丈のライトグリーンのショートパンツ。足にブルーのスニーカー。目的地のことを考えて、歩きやすさ、動きやすさを重視している。

座席に置いたバッグも、必要最低限のものしか入っていない小さなものだ。

長い列車の旅が終わり、ようやく目的のあおざと駅に到着した。二人が並んで列車から降りて、改札を出ると、駅舎のひさしから看板が下がっていた。

『ようこそ、青葉里ビエンナーレ』

と、大きく記されている。茉莉が瞳を盛大に輝かせて、さっそく愛用のカメラをかまえて、看板を何枚も撮影した。

ビエンナーレの意味は、優也も知っている。イタリア語で『隔年』や『二年に一度』を意味する『BIENNALE』という単語だ。

もともとはイタリアのベネチアで、一八九五年から二年ごとに開催されている国際美術展覧会ベネチア・ビエンナーレのことだった。この芸術のオリンピックともいわれる世界最高峰の現代芸術イベントにならって、世界各地でビエンナーレを名乗る展覧会が開かれるようになった。今ではビエンナーレは国際的な現代芸術展を指す言葉となっている。

日本でも地方の文化振興や町おこしの一環として、あちこちで様々な規模や趣向のビエンナーレを称するイベントが開催されている。

そこまでは優也も知識として、まあまあ知っていることだ。しかし日本のどこで、どのようなビエンナーレが開かれているのかまでは、芸術に疎い優也にはわからない。

現在開催されている青葉里ビエンナーレに行こう、と茉莉が優也を誘った。

昨日、病院からマンションへもどると、すでに繭はいなかった。夕方に電話があり、北海道に一週間はいるだろうと言われた。

茉莉は母親のいない間に、前から興味のある青葉里ビエンナーレに先生と行きたいと告げた。優也は現代芸術にとくに興味はなかったが、茉莉が好きなものを自分も体験したくて、うなずいた。

昨日は二人して旅行の準備をした。幸い、旅館の部屋も取れた。

繭にも、青葉里ビエンナーレへ行くことを教えた。スマホの向こうの繭は、いちおうは、娘と優也の二人きりの旅行をうらやむようなことを言った。実際には自分の取材に夢中で、他のことには気がまわっていないようだ。

青葉里ビエンナーレを先入観なしに見てほしいという理由で、茉莉は優也にくわしいことを教えてくれなかった。

優也のイメージでは、日本だけでなく海外の芸術家の新作も展示されているというから、かなり大きな都市で開催されているものだと思っていた。

実際の青葉里を目にした優也は、素直な驚きを声に出していた。

「こんな田舎でやるんだ!」

優也の故郷も地方の小都市だが、駅前に広がっている光景はもっと田舎町だ。駅前の商店街のすぐそばに、青々とした水田が迫っている。町の背景の緑の山々も、かなり近い。

とはいえ街の見た目に活気があり、さびれた過疎の雰囲気は感じない。やはりビエンナーレのおかげで、いつもより人が多いのかもしれない。

茉莉の解説によれば、このビエンナーレの主催者は、県でも郡でもなく、青葉里町役場。企業の協賛を得ているとはいえ、地方の小さな町が国際的な芸術展を開けるとは、優也には考えにくかった。

茉莉はスマホにダウンロードした会場の地図を表示すると、優也の右手を握った。

「旅館のチェックインは午後六時まででいいから、最初の作品へ行きましょう」

茉莉は軽快な歩調で、駅前の道を進みだした。右腕を引っぱられて、優也も足を速める。駅前の街並みを抜けて少し歩くと、すぐに水田に出た。

駅から来た客を歓迎するように、最初の作品が水田の中にあった。

優也は率直な感想を口にした。

「なんだろう?」

水田に生える稲の間に、透明な棒が何本も直立している。棒の先には、それぞれ奇妙な物体がくっついている。

物体の基本は、長さ一メートルから二メートルの流線型のもの。一個一個が異なる多彩な色で塗られている。さらに表面から複数の、様々な形の突起が伸びている。ながめる角度によって、突起が脚に見えたり、鰭に見えたり、あるいは翼や羽、角や刺にも見える。

あたりを見まわすと、水田の脇に小さな立て札があり、作者の名前『エーリッヒ・クルツ』と、作品のタイトル『群れ』だけが書いてあった。作者は語感からしてドイツ人のようだが、優也はまったく知らない芸術家だ。

「うーん。『群れ』ということは、やっぱり動物なのかな。解説を書いてくれないと、全然わからないよ。茉莉ちゃんはわかる?」

茉莉は『群れ』の周囲の畦道を、右に左に歩きまわっていた。カメラはバッグにしまって、写真を撮ろうとはしない。自分の脳に作品の記憶を刻みつけようと、角度を変えて見つめている。