繭は微笑んで、扉の脇にあるボタンを押した。
扉の一部がスライドして、開いた小窓から柔和な中年男の顔が覗く。
「ホテル新月に御用でしょうか」
「坂田先生の紹介で、九時に予約した仁志乃です」
「仁志乃繭様とお連れの藤倉優也様ですね。承っております」
小窓が閉まり、扉が開いた。優也は胸の内で期待の声をあげる。
(ついにホテルの正体がわかるぞ!)
ホテル新月がどういう場所なのか、優也は具体的には聞かされていない。繭は、行ってからのお楽しみ、としか言ってくれなかった。
繭が茉莉に対抗して選んだ場所。そして会員制で一見の客はお断り、と聞けば、妖しく不健全な想像がいやがうえにもふくらみまくる。
勇んで扉の中へ足を踏み入れた。
「普通だ」
扉の奥にあるのは、優也が家族旅行や修学旅行で見たのと変わらない、ごくあたりまえのホテルの明るいエントランスと受付カウンターだ。
カウンターの向こうにいるのは、変なアイマスクをつけたエロい恰好の美女ではなく、黒いスーツに黒いネクタイを締めた、いかにも人当たりのよさそうな男性従業員。
エントランスにある装飾品も、おしゃれなガラスの花瓶に生けられた花に、田園を描いた瀟洒な油絵だけ。優也が妄想したものの片鱗もない。
数人いる男女の客も、ドレスコードをきちんと守る常識人のようだ。
優也はまたくりかえす。
「普通だなあ」
「普通よねえ」
繭も同意した。内心、期待していたのとは違う。
繭が宿泊の手続きをして、カードキーを受け取ると、エレベーターで三階の部屋へ向かった。
三階の廊下を歩くと、優也は窓から見下ろして、歓声をあげた。
「すごい。中にプールがある!」
外観からはわからなかったが、ホテル新月の建物は、ロの字の形をしていた。四角い中庭には、歪んだ楕円形のプールがあり、照明を浴びて水面を美しく演出している。
繭は307号室のドアにカードキーを読ませて、ロックを開けた。
部屋に入った優也は、また歓声をあげる。
「すごい。広い!」
優也が過去に宿泊したホテルの客室は、一室だけで、室内に小さいテーブルと椅子があり、奥にベッドがある仕様だった。
ホテル新月の客室は、広い部屋に大きなテーブルと椅子があるが、ベッドはない。
「あれ? ベッドは?」
「ベッドルームはとなりよ」
繭が指さす先の壁に、木製のドアがある。
「二部屋もあるんですか! ホテルなのに」
「ふっふっふ。大人の力を思い知ったかしら。バスルームはあっちね」
繭の指が、反対側の壁のドアを示す。
「ドレスコードはチェックインして、部屋に入るまでだから、もうスーツを脱いで、ネクタイをはずしていいわ。わたしも寝室で着替えてくるから」
「繭さん、着替えを持ってきていないんじゃ」
「ホテルが用意してくれているのよ」
優也を置いて、繭はひとりで寝室のドアへ消えた。
すぐに優也はスーツを脱ぎ、ネクタイをほどくと、椅子に腰かけて大きく背伸びをした。
「はあー。息苦しい。サラリーマンはよく毎日ネクタイなんてしてるなあ。まじめに大学で勉強して、絶対にネクタイを締めないですむ仕事に就くぞ」
「おまたせ。優也くん、ベッドルームに来て」
返事をして、ドアを開けると同時に、優也は目を見張る。
寝室にはダブルサイズのベッドがひとつと、大きなクローゼット、そして箪笥がある。絨毯を敷いた床の面積には、そこでいろんなことができるように、かなりの余裕があった。
絨毯の優美な模様の上に、繭は背筋を伸ばし、胸を張り、両腕を左右に広げて立っている。
「どうかしら。この衣装は」
常套句の『すごい』を言うのさえ、優也は忘れた。
繭はスーツとブラウスとスカートを脱いでいた。ブラジャーとショーツもつけていない。ホテルへ来るときに着ていたものをすべて脱いだかわりに、黒いレオタードを着ている。
黒といっても、薄い墨の色だ。優也は、最初は、墨を直接裸の胴体に塗ったのかと思った。それほどレオタードの生地が薄く、肌にぴっちりと貼りついている。
デザインはけっしてハイレグではないが、豊満なボディラインを余すところなく表している。よく見れば、生地は細密な黒いメッシュで、光の加減でところどころに美しい光沢があった。
薄い網目に包まれた巨乳の先端では、そこだけ色が違う乳輪の形が、くっきりと透けて見える。
さらに中心からは、乳首がメッシュを突き上げていた。
下半身では、薄墨色の生地を透かして、愛らしいへその形がわかった。その下方では、光沢の向こうに、恥丘のふくらみの真ん中を裂く縦溝が見える。
すでに何度も見て、愛撫して、堪能した繭の肉体だが、こうして半透明の黒いレオタードで飾られると、新たな妖艶さがクラクラするほどにまぶしい。
「そのレオタードが、ホテルの備品なんですか!?」
「ここは、そういうホテルなの。会員に様々なセックスを楽しむ場と道具を提供するホテルよ。だからこの衣装も、こうなっているわ」
繭が軽やかなステップで、くるりと背中を優也へ向けた。いや、正しくは、尻を向けた。
迫力の熟ヒップ全体を包むメッシュの中心に、縦長の穴がある。
穴は股間から尻たぶがはじまる位置まで伸びて、ちょうど尻の谷間だけが見えるように、きれいに切り取られていた。穴の縁はきちんと袖口のように縫ってあるので、適当に切断したものではなく、最初から尻の中央が露出するようにデザインされた製品だ。