しばらくすると、廊下を近づいてくる足音が聞こえた。布団を敷き終えた紬は、
「先に寝ていらしてください。わたしは、洗いものを済ませたらまいります」
と再びキッチンに戻り、汚れた皿やグラス、スプーンやフォークなどを片付けていたのだ。裕は慌てて枕を離し、再び仰向けになってタオルケットをかけた。
「失礼します」
襖の向こうで紬の声がした。「ど、どうぞ」と答えると、静かに襖が開く。
紬が姿を現した。やはり恥ずかしいのか。緊張しているのが分かった。
今日の紬は、淡いピンク地のキャミソールに、デニムのホットパンツ姿だった。
しかもホットパンツは、サイズが小さいのではないかと思うほど窮屈そうで、ふとももはもちろん、尻たぶまでもが露わになっている。
「よろしいですか、ご主人様?」
こわばった声で聞かれた。「うん。お願い」と答えると、紬はぎこちなく布団に近づいてくる。位置をずらしてスペースを作った。紬は畳に膝を突き、恥じらいに満ちた慎み深い挙措でタオルケットを上げ、裕の隣にその身を横たえる。
さっき枕から香った何十倍も強烈な甘いシャンプーの芳香が鼻腔粘膜を襲った。
二人はしばらく互いに言葉もなく、仰向けになったまま天井を見つめる。
(何だろう、この感じ)
不思議な感覚に囚われた。心臓がとくとくと脈打ち、浮き足立つ気分なのに、なぜだか同時に、全身の力が心地よく抜けていくような安らぎを覚える。
(前にも、紬さんとこんな風に一緒に寝たことがあるような……)
そんな馬鹿なこと、あるはずがない。だが理屈ではなかった。奇妙なノスタルジーがスパイスになり、裕のなかにムクムクと新たな願望が肥大し始める。
「紬さん」
「なんでしょうか、ご主人様」
「もしよかったら……後ろからそっと、抱きしめてくれないかな? だ、だめ?」
「──っ!? か、かしこまり、ました……」
受け入れてもらえたことに感激しながら、裕は紬に背中を向けて丸くなった。
それはためらいの間だったのだろうか。しばらくもぞもぞと布団のなかで動いていた紬の身体が、やがて後ろから優しく密着した。
今日も紬の女体は温かく柔らかだった。両手が回され、身体を抱きしめられる。
(あぁ)
うっとりと目を閉じた。幸せだった。母親のお腹のなかにいる胎児とは、もしかしたらこんな気分なのかも知れないとさえ思う。
「も、もう少し……強く抱きしめてもらってもかまわない?」
「……こう、ですか?」
紬の両手に力が入った。豊満な乳房がさらに強く背中に押しつけられる。紬の心臓の鼓動音を聞いた。自分に負けないぐらい、ドキドキいっている。
「紬さん……」
「はい」
ありったけの勇気を振り絞り、羞恥心を押し殺して喉から言葉を押し出す。
「あ、頭……頭、撫でてくれって言ったら笑う?」
「えっ」
「あ、やっぱりだめ?」
「い、いえ。そうではなく……ご主人様……あの、もしかして……」
紬の声に狼狽の色が滲んだ。どこか熱っぽいものまで忍んでいるのはなぜだろう。
「うん? もしかして……なに?」
さっぱり意味が分からない裕は、不安になって背後の紬に聞く。
「あ……いえ。何でもありません。こうで……いいんですか?」
紬は慌てて取り繕う。甘い吐息にうなじを撫でられ、ぞくりと鳥肌が立った。紬は片手を裕の身体から離し、優しく頭を撫で、髪を梳いた。
(あぁ、天国だ)
自分で頼んでおきながら、夢のようだった。甘酸っぱい多幸感が広がり、乾いた土を潤す雨水みたいに身体と心に染み渡っていく。
昨日も感じたことだったが、紬はいやいややっているようには思えなかった。
(どうして紬さん、こんなに優しく、本気で頭を撫でてくれるんだろう)
その理由は分からない。今の裕に分かるのは、身体中の力が抜け、自分が腑抜けのようになっていくことだけだ。
そしてもう一つ──心臓の鼓動が速まり、股間に続々と血が集まっていた。
(うう、いけない。また興奮してきちゃった。昨日もわがまま言ったばかりなのに、ダメだよ。落ち着け、落ち着け)
求めていた母性が得られ、なぜか感じる既視感と安らぎの気持ちが、少しずつ性的欲望に変質し始めた。なだめようとすればするほど、ペニスは淫らな力を漲らせ、雄々しく反り返ってしまう。
(あぁ、ど、どうしよう。紬さんに気づかれたら……)
そわそわと落ち着かない心地になった。つい紬の腕のなかで身悶える。
「……? どうされました、ご主人様」
裕の異変に気づいた紬が、不審そうに背後から声をかけた。鈴の鳴るような愛らしいその声に鼓膜と股間を刺激され、いけない欲望はいっそう抗いがたいものになる。
(だめだ。今度こそ完全に嫌われちゃう。で、でも……我慢できないよ……)
「ご主人様?」
何も答えない裕に、さらに心配そうな声になって紬が聞いた。
「つ、紬さん」
「はい?」
「ごめん。ほんとにごめん。僕……勃起しちゃった」
「──えっ」
「あぁ、紬さん!」
裕はくるりと身体を反転させ、自ら紬を抱擁した。背中でつぶれていたおっぱいが、今度は胸板に圧迫されて窮屈そうにひしゃげる。
「ご、ご主人様。お話が違います!」
紬が引きつった声を上げた。裕を押し返そうと必死になって両手を突っ張らせる。
「ごめんね。でも僕、紬さんに抱きしめられたら、どうしても我慢が……」