「映画、どうだった?」
シネコンを出て日の暮れかけた繁華街を駅へと戻りながら、遥香が聞いてきた。
映画館に入る前は歩いているだけで汗が噴き出すほどだった暑さも、ようやく少ししのぎやすくなっている。雑踏はなおも大勢の人々で賑わっていた。
「ど、どうって、言われても」
言ってから、どうしてもっとましな返事ができないのかと心のなかで天を仰いだ。これでは映画そのものなどどうでもよく、遥香としたキスやペッティングのことばかり意識してしまっているのがバレバレだ。
「私はすごく嬉しかった」
「先輩……?」
面白かった、でも、楽しかった、でもなく、遥香は「嬉しかった」と言った。
「だって……やっと裕君との距離、すごく縮まった気がするんだもん」
歩きながら小声で耳朶に囁かれる。思わず顔が熱くなった。まともに遥香を見返すこともできずにうなだれる。多分今、自分の顔は真っ赤になっているはずだ。
「フフ、可愛い」
そんな裕を見て、甘い声で遥香が言った。幸せそうに微笑みながら軽い足取りで駅に向かう。ランチを食べ、ウィンドウショッピングをしたら映画を観て──いつものことだったが、楽しい時間はあっという間に終わってしまう。
だが今日は遥香の言う通り、たしかにいつもとはひと味違うデートになった。
裕はもう一度、映画館での出来事を思い出して幸せな心地になる。
遥香の朱唇は柔らかく、吐息は花園で嗅ぐ花を思わせる甘い匂いがした。
唇を重ね、おっぱいに触れたというただそれだけのことなのに、確実に世界の何かがそれまでとまったく変わっていた。
「受験勉強、大変だと思うけど、明日もまた……いい?」
上目づかいに見つめられ、遠慮がちながらも媚びた声で遥香に聞かれた。
「も、もちろん」
裕はそんな遥香に何度もうなずく。裕の答えを聞いた遥香は、はにかんだように微笑んだ。その笑顔と、喜びと恥ずかしさが混じりあったような挙措が愛らしかった。
(あぁ、先輩)
さりげなく、かたわらを歩く遥香の姿を盗み見る。
実は遥香の魅力は、高嶺の花的な美貌と量感溢れる豊乳だけではなかった。
すらりと伸びやかに発達した、西洋美女風のダイナマイトボディ。たわわな乳房ばかりではなく臀部の肉づきもかなりのもので、出るところが出て引っ込むところが引っ込んだ女体は、まるでコーラのボトルを思わせた。
裕には昔から、女性の大きな臀肉に強烈な魅力を感じる性癖があった。理由は分からない。遥香はそういう意味でも文句のつけようのない見事な肢体の持ち主だった。
裕は今日も、蠱惑的に右へ左へと揺れる魅惑のお尻をたっぷりと網膜に焼きつけ、何ともいえない幸福感に浸りつつ遥香と別れたのだった。
「あさってから、いなくなっちゃうんだよな」
とっぷりと日の暮れた住宅街を家に戻りながら、裕は溜息混じりに呟く。
胸がキュンとならずにいられない愛らしい仕草で「また明日ね」と手を振って裕の前から消えていった遥香を思い出すと、またも甘酸っぱい気分になった。
高校時代と同様、大学でも吹奏楽部に籍を置いている遥香は、三泊四日の予定で合宿に出かけることになっていた。
たかが数日かも知れなかったが、恋人同士にはけっこうつらい「お預け」だ。
しかも、いよいよ初エッチのときが迫っていると確信できる状況だけに、感じるつらさには思っていた以上のものがあった。
「もしかしたら、また遥香先輩をネタにしてオナニーばかりしちゃうかも」
そう呟き、「だめだだめだ。しっかり勉強しないと」と、自堕落になりかけた自分を叱咤する。高校生活最後の夏休み。友人たちのなかには予備校の夏期講座に通っている連中も少なくなかったが、裕は独力で勉強を進めようとしていた。
成績は悪い方ではなかったし、意志の力も満更ではないというのが自己評価だ。
ただ、現在一人暮らしであることが、不安要素といえばいえた。
母一人息子一人の一軒家暮らし。母親の恵津子は一流商社の有能な社長秘書として働くキャリアウーマンで、社長に命じられて海外支社の支援のために半年ほど家を空けることになり、すでに旅立ってしまっていた。
一人では炊事も洗濯も満足にできず、しかも受験生でもある裕を心配した母親の判断で、身の回りの世話を焼いてくれる家政婦を募集しようということになったのだが、なかなか応募者は現れなかった。
今日もそのことを心配した遥香に、「ほんとは私がご飯とか作りに行ってあげられたらいいんだけど」と申しわけなさがられ、「平気です。自分で何とかできるから」と答えていたが、正直あまり自信はなかった。
「ほんとに、遥香先輩が家に来ていろいろしてくれたらいいんだけどなぁ」
思わず顔がほころんでしまうのを感じ、裕は夜空を仰いだ。よからぬ妄想混じりの願望であることは言うまでもなかった。
だが実際問題、遥香には吹奏楽部の合宿の準備があったり、両親が厳格で異性宅に出入りするなどもってのほかという家風だったり、また「私がいると裕君が勉強に集中できないかも知れないし……」という遥香なりの気遣いもあったりして、彼女が家政婦代わりを買って出るのは難しい状況だったのである。
「でも先輩の気遣い、やっぱり正解かも。二人で一つ屋根の下になんかいたら、勉強なんて手につかない気もする……うん?」