家政婦は蜜尻女子大生 初恋の君と恋人の甘いご奉仕

(今遥香、「千尋先輩」って言わなかった? 紬? 千尋? え、なになになに!?)

なぜだろう。千尋という名を耳にしたとたん、心が不穏にざわついた。

「何かありましたよね?」

詰問口調で、もう一度遥香が聞く。

「遥香ちゃん……」

「私、昨日お願いしたはずです。先輩が偽名を使って家政婦として裕のそばにいることは我慢します。でもどうか、男と女の関係にだけはならないでって。千尋先輩、『分かってる』って約束してくれたじゃないですか」

いつしか涙声になっていた。

「だから私、もうこれ以上はだめだって思ったんです。これ以上、千尋先輩と裕を二人っきりにはしておけないって。いくら千尋先輩にとって、裕が今でも忘れられない初恋の男の子でも。だって今は……今は私のたいせつな恋人なんです」

(──あっ!)

思わず声を上げそうになった。

デートのとき、観覧車のなかで遥香から聞いた言葉を思い出す──『仲のいい大学の先輩にね。昔別れちゃった男の子のことをいまだにたいせつに想ってる人がいるの』

(それじゃ……それじゃ……!?)

千尋──千尋──。

その名前が、裕の奥底に埃を被って隠れていた幼いころの記憶を刺激した。

(──ッ!)

一人の女性が蘇った──ふじさわ千尋。

裕が幼いころ隣の家に住んでいた、歳の離れた憧れのお姉さんだ。

(つ、紬さんって、千尋お姉ちゃんだったのか!)

驚きながらも、裕は同時に、一気に謎が氷解する心持ちになった。

今まで紬を見るたびに感じていた、甘酸っぱく、どこかで不思議な懐かしさをくすぐる感情の謎が一瞬にして溶けた。

いつも「お姉ちゃん。お姉ちゃん」と千尋のあとをついて回った。

千尋もそんな裕を可愛がり、いつしか二人は、まだ小学生だというのに、「大きくなったら結婚しようね」と密かに誓いあう仲にまでなったのだ。

子供ながら料理好きで、おいしい料理を作れる女の子だった。

両親の仲がよかったせいもあり、互いの家を行き来しては一緒にお風呂に入ったり、昼寝をしながら頭を撫でてもらったり、一冊の本を二人で肩を寄せて読んだりした。

並んで道路を歩くとき、夢中になって話をする裕の腕を「危ない!」と言って引っ張り、何度も自転車や車から守ってくれたのも千尋だった。

そうだ。思い出した。間違いなく彼女は藤沢千尋だ。どうして今まで、そんなことにこれっぽっちも気づけなかったのか。作ってくれたおいしい料理。一緒のお風呂や添い寝での奇妙なドキドキ感。車から庇ってもらったときの不思議な感覚──そのどれもが、紬が千尋以外の何ものでもないことを告げているではないか。

裕は全身の血が逆流を始めたような興奮を覚え、わなわなと身体を震わせた。

大好きだった。お尻の大きな女性に惹かれるのも、十歳ごろから見る見るお尻が大きく張り出し始めた千尋に疼くような「女らしさ」を感じたのが始まりだったのだ。

だが父親の仕事の関係で千尋一家が千葉に引っ越し、連絡も取れなくなってしまったため、「忘れよう、千尋お姉ちゃんのことは……」と無意識の内に思い出を封印し、いつしか本当に忘れたつもりになっていたのだった。

(あぁ、千尋お姉ちゃん!)

紬が千尋だと分かった裕は、どうしていいか分からないほど悩乱した。

「たしかに、先輩から初めて話を聞いた時、『悔いのないようにするべきです』って言ったのは私でした。先輩が私の背中を押してくれたように。でもまさか、先輩の『思い出のなかのたいせつな男の子』が裕だったなんて」

遥香は苦渋に満ちた声で言った。

「わたしも、遥香ちゃんがこの家を訪ねてきたときはびっくりしたわ。遥香ちゃんの恋人が裕ちゃんだったって知って、こんな偶然があるのかって神様を恨んだ……」

そんな遥香に、千尋も声を震わせる。

「千尋先輩が、お見合いした人と結婚する前に、ずっと心のなかに住み続けていた年下の可愛い男の子ともう一度だけ会いたいって気持ち、すごくよく分かりました」

遥香は千尋とその話をしたときのことを思い出す口調で言った。

「だから、その男の子が裕だったんだって知ったときは本当に驚きました。でも、裕を長いこと忘れられずに成長してきた千尋先輩の気持ちも痛いほど分かった。だから、約束の期日まで家政婦として裕と一つ屋根の下で暮らすことを認めたんです」

鼻を啜り、少しずつ興奮した声になりながら遥香は言葉を続ける。

「でも、私が先輩を嫌いにならなくてはならないような真似だけはしないでくださいってお願いしたはずです。そうでしたよね?」

「遥香ちゃん……」

「どうしてですか? どうしてすぐに先輩のことを思い出してもくれないような幼なじみをそこまで想い……その……か、身体まで許せるんですか?」

二人の間に沈黙が降りた。裕は自分も一緒に叱責されている気分になり、鉛を飲み込んだような重苦しさにかられる。

「裕ちゃんがどうであろうと、わたしにとってはたいせつな初恋の男の子だったの」

長い沈黙のあと、千尋はひと言ひと言を噛みしめる調子で答えた。

「そして、わたしのことを大好きって言ってくれたあのころとまったく変わっていない、可愛い瞳で見つめられて……二度目の恋に落ちちゃった」

「千尋先輩……」

(お、お姉ちゃん)