ハーレムマンション 僕と美人妻たちの秘蜜な昼下がり

「えーと、どなたでしたっけ……。僕、あなたを知っています……」

「わたしは、あなたを知りません。あなたは、どなた?」

よほど飲んでいるのか、上体が左右に揺れていて、今にもその場に倒れ込んでしまいそうで、危なっかしいことこの上ない。豊かな栗色の髪が、かくんかくんと揺れるたび、ふわんと薔薇のような香りが甘く漂った。

「ああ、酔っぱらっていますね。部屋を間違えているんじゃないですか?」

「失礼ね。自分の部屋を間違えるほど、飲んでいないわよ。第一ほら、ちゃんと表札が木原になってるじゃない! わたしは、木原まなみです」

ろれつが怪しくとも、アルトの声は美しく響く。この声で歌えば、さぞかし素敵であろうと想像した瞬間、見覚えのある美貌が、元アイドルタレントのたかアンナであることに気がついた。

清楚な胡蝶蘭を連想させる美貌は、TVで見てきたものよりも、さらにハッとさせられるものだった。

二重のくっきりとした大きな瞳にやわらかな柳眉。美しく真っ直ぐに通った鼻筋はちょっとだけ男性的か。官能味あふれるぽってりとした唇は、震い付きたくなるほど悩ましく、さらに右側の口元にはセクシーなほくろが一つ。綾香が和風美人なら、まさしく彼女は洋風の面差しだ。

「た、高野アンナだ!!」

大急ぎで洋介は、一度ドアを閉め、ドアガードを外してからあらためて玄関ドアを大きく開けた。そうするのも当然だろう。洋介は、彼女を初めてTVで見た時から引退するまでのおよそ十年間、ずっとアンナのファンだったのだ。わずか六歳で彼女の虜となった洋介には、まさしく彼女が初恋の女性と言える。

歌手に女優、グラビアとマルチに芸能活動をこなしていた高野アンナが、七年前に結婚と同時に引退した時、中三の洋介は、ひどく落ち込んだものだった。

それほどコアなファンである洋介が、すぐに彼女と気づかなかったのは、「まさか、あの高野アンナが……」との思いがあったからだ。

「どうして? どうしてアンナが、僕の家に?」

偶然にしても、自分の部屋を訪れてくれるなんて、こんな幸運があって良いものかと躍り上がらんばかりに興奮している。

反対に彼女は、アンナと呼ばれたことで、酔いが覚めたらしい。玄関の中の様子を覗き、自分の部屋ではないと悟ったようだ。

「あの、ここ何号室?」

「705号ですけど……」

木原と苗字だけ書かれた表札をひょいと見直してから、再び洋介の顔に視線が戻る。

「あなたも木原さんなのね?」

「そう、木原洋介です」

ようやく事態を呑みこんだ彼女は、「ごめんなさい」と頭を下げたかと思うと、大慌てでその場を逃げ出した。

「昨晩は、すみませんでした。ご迷惑をおかけして……。あまりに恥ずかしくて、言葉もありません」

昨晩と言うよりも、ほとんど今朝方のことではあったが、相手が高野アンナであるだけに、そんな細かいことは一言も口にしない。むしろ、彼女が、たびたび我が家を訪れてくれることを幸運とさえ思っている。

「本当に、気にしないでください。よくあることですから……。それに相手がアンナさんであれば、僕はどんな迷惑も大歓迎です」

差し出された菓子折りにひたすら恐縮してみせる洋介に、素敵な笑みがくすりと注がれた。

「あらためまして、わたしは805号室の木原まなみです。よろしくお願いします。それで、あの、もう高野アンナじゃないから、その名前は……」

「え、ああ、すみません。そう呼ばれるの迷惑ですよね。じゃあ、まなみさんって呼んでいいですか?」

同じ木原姓同士で「木原さん」と呼び合うのはおかしいのを良いことに、彼女を名前で呼んでみた。すると、やさしい笑みが頷き、「わたしは、洋介くんで、いいかしら?」と返してくれた。

「805号室ってことは、ちょうどこの真上の部屋なんですね。それで間違えて……」

「そうなの。エレベーターでボタンを押し間違えたらしくて……。他のマンションだけど、以前に七階に住んでいたことがあって……。それに、表札の文字まで一緒だったから」

まなみの言う表札とは、駅前の文房具屋で買い求めたどこにでもあるありふれたものだけに、間違えるのも不思議はなかった。

「そっか、アンナさん……まなみさんの本名は、やまぐちまなみさんと記憶していたけど、結婚して木原になっていたんですね」

洋介がまなみの旧姓を口にすると、大きな目がより大きく見開かれた。ぽってりとした官能味溢れる唇も、Oの字を象っている。

「ああ、僕、大ファンだったんです。あのもしよければ、サイン頂いてもいいですか?」

「引退してもう七年も経っているし、わたしのサインなんてもう何の値打ちもないわよ。それでもよければ……」

断られるのを半ば覚悟していた洋介は、快い返事にほとんど小躍りせんばかりに喜んだ。

「あの、ここでは何なので、あがりませんか? コーヒー淹れますから……」

やはりダメもとで口にしてみる。

「本当に? ご迷惑じゃない? ご両親はお留守?」

小首をかしげる愛らしい仕草。栗色の豊かな髪が、艶やかに舞い躍る。アイドル時代にも見られた癖のような仕草は、相変わらずのようだ。

「迷惑なんかじゃありませんし、僕、ここに一人暮らしなので、誰にも気兼ねすることはありません」