パントリーから戻った千佳子が、講師用の調理台の前に立ち、いよいよ調理開始となった。晴恵と悠里の二人も、拓実がいるIHヒーター側に移動してくる。
「さあ、拓実くん、代表して、どうぞ」
「えっ、ぼ、僕がですか?」
「そうよ。ショウガは悠里ちゃんと二人で切っておいてあげたから、はい、やる」
「頑張ってください、秋山さん」
「は、はい」
胸の前で、両手で握り拳を作った悠里の励ましに、引き攣った顔で頷いた拓実は、ヒーターのスイッチを入れた。ステンレス製の中型鍋にサラダ油を入れ、人妻二人が薄切りしてくれたショウガを慣れない手つきで炒めはじめるのであった。
─ 2 ─
「あら、拓実くん」
「えっ? あっ、坂下さん。お買い物ですか?」
時刻は午後四時半すぎ。四時前に料理教室が終わったあと、拓実は真っ直ぐ自宅に帰らず、駅ビルの上にある書店にいた。料理本コーナーであれこれ物色しているときに、どこか艶めいた声をかけられたのだ。声のほうに顔を向けると、そこにはエコバッグを手にした晴恵が立っていた。
「そう、下のスーパーでね。きみこそいまさら料理本を探してるわけ」
「探しているってほどじゃないですけど、こんなにたくさんあるとは予想外でした」
「そりゃ、そうよ。同じ料理でも、料理人の数だけレシピはあるわけだから。ところで、このあとの予定は、なにかあるの?」
「えっ、いえ、特には。バスに乗って自宅に帰るだけですけど」
「じゃあ、ちょっとウチまで付き合いなさいよ。ここから歩いて五分くらいだから」
「へっ? 坂下さんのご自宅に、ですか?」
晴恵の突然の誘いに、拓実は目を見開いた。人妻から自宅へお誘いを受けるなど、想像したこともない出来事なのだ。
「んっ? だからって変な期待はしちゃダメよ」
「べ、別に僕、変な期待なんて……」
悪戯っぽく眉根を寄せた晴恵に、拓実は慌てて首を左右に振った。
「ふふふっ、私が持っている料理本、貸してあげるわよ。基本的な和食から、本格フレンチまで各種揃ってるから」
「ありがとう、ございます。あっ、じゃあ、あの、僕、荷物、持ちます」
「そう、悪いわね。じゃあ、いきましょうか」
拓実がエコバッグを受け取ると、艶妻はにっこりと微笑み、くだりエスカレーターに向かって歩き出した。そのあとを慌てて追いかける。
「初心者の拓実くんは、こういう簡単なやつからはじめたほうがいいんじゃないかな」
駅ビルから歩くこと五分。マンション七階の部屋に案内された拓実が、リビングの二人掛けソファに腰をおろしていると、晴恵が一冊のレシピ本を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「ちょっと待ってて、いま、冷たいお茶の用意するから」
「あっ、いえ、どうぞお構いなく」
「私が喉渇いているのよ。つけたばっかりだから、クーラーも全然効いてないし」
拓実に『料理初心者のための簡単レシピ集』を渡した晴恵は、暑さにウンザリといった表情を浮かべ、リビングからは独立したキッチンへと向かっていく。
(まあ、確かに凄くムシムシしてるから、冷たい飲み物はありがたいな)
Tシャツの裾で頬を流れる汗を拭い、渡されたレシピ本をパラパラと眺めた。本当に初心者向けらしく、難しい料理はあまりない。それこそ、肉じゃがや鶏そぼろ、ハンバーグにカレーといった、初心者にも作りやすそうな料理ばかりが並んでいる。
「はい、どうぞ、麦茶」
「あぁ、すみません、ありがとうございます」
晴恵がお盆に二つのグラスを載せて運んできた。テーブルの上に置いたグラスには、氷と麦茶が注がれている。
「基本的な料理ばっかりでしょう、それに載ってるの」
「はい。頑張れば、僕でも作れそうな気がします。麦茶、いただきます」
レシピ集を指差す人妻に首肯し、冷えた麦茶入りのグラスに手をのばした。ほのかに鼻腔をくすぐる香ばしさと、スッキリとした喉越しに、ホッと息をついてしまう。
「それにしても全然効かないわね。悪いけど、着替えてくるから、しばらくそれ、眺めていてちょうだい」
一度は拓実の隣に座ろうとした晴恵だが、テーブルの上に置かれたエアコンのリモコンを手にすると、ピッピッと設定温度をさげ、リビングを出て行ってしまった。
(坂下さん、何度までさげたんだ?)
リモコンを覗きこむと、設定温度は二十六度になっていた。リモコンの音からして二度さげただろうから、元の設定は二十八度だったのだろう。
(大雑把に見えて、さすがは主婦、こういうところはしっかりしてるんだなぁ)
変なところに感心しつつ、再びレシピ集を手に、晴恵が戻ってくるのを待った。
「ごめん、お待たせ」
「いえ、全、ぜ、ん……」
数分後、戻って来た艶妻の姿に、拓実はあんぐりと口を開けてしまった。
(なっ!? なんて凄い格好になってるんだ! さっきまでは普通のポロシャツとジーンズだったのに……)
晴恵はタンクトップにホットパンツという出で立ちに変わっていた。タンクトップの胸元を押しあげるほどよい膨らみ、ホットパンツを漲らせるボリューム満点のヒップ、さらにはスラッとした脚までもが、惜しげもなく拓実の視線に供せられている。
料理教室のときより、ずっと艶やかでおんなを感じさせる姿に、ジーンズ下のペニスが、ピクッと小さく震えてしまう。