ヤブヌマ 侵食されゆく妻の蜜肌

何もかも夫に任せると決めた妻からの、信頼と愛情。愛しむべきそれらを今から裏切ってしまうのだ。懺悔と共に、智の喉に言葉が上りかける。

──愛してる。

紡がれることなく喉奥に押しこめられた言葉の代わりに、智は、愛妻の頬から離れたばかりの、まだ彼女の温みが残る左手を自身のズボンのポケットに入れた。空いた右手でテーブルを押し動かすと、隣接した席に聞こえるのが精々の小さな振動音が響く。その音に乗じて、そっとポケットより左手を抜きだし、握っていた携帯電話を開いた。

テーブルを押す手を止めるのと同時に、届いていたメールメッセージを視認する。

『こんばんは。奥さんの衣装、エロくていイイですね』

(──ああ、相変わらずだ、この男は)

短い文面からも、容易に想像できてしまう。奴はきっと、この文を打つ間中、ワンピース姿の咲美を視姦し、特徴的な醜い面に下卑た笑みを張りつけていたに違いない。うんざりする気持ちと、言いしれぬ不安が拡大する。なのに、奴が今も咲美を情欲の糧としている様を思い浮かべた途端、滾った占有欲が、智に行動を促した。

「ね、ねぇ智。誰もこっち、見てない……よね?」

──君がもっとも忌み嫌っている奴が、今もどこかから視姦しているよ。

「……うん。大丈夫」

嘘を吐いた瞬間に、なぜだか男根がドクリと脈打った。

禁忌の妄想に耽る際と同様の、不安と恍惚の入り混じった快楽衝動が奔ったせいだ。ほろ酔いの頭で状況を理解していくと、己の昂奮ぶりが嫌というほど知れた。

身に滾る感覚は、確かに「藪沼に咲美が抱かれる妄想」をする際に味わうのと同種。だが、妄想にない現実的な期待感を伴っており、桁違いの熱量を孕んでもいる。おかげで、見る間に起き上がってゆく己が男根を意識し続けねばならなかった。

(お、おぉ、っ……!)

思わず感嘆と恍惚をこぼしそうになった唇を、とっさに噛んで諫める。

これ以上待たせて、咲美に不審を抱かれては元も子もない。左腕に寄りかかっている薄着越しの乳房の温みと柔い感触に、より気を惹かれて、改めて、目を瞑り通しの妻に顔を寄せる。

(藪沼……あんたはそのまま、咲美に気づかれるような真似をせず、潜み続けてろ)

居所の知れぬ藪沼に勝ち誇りながら、その彼の熱烈な視線を意識し、強い緊張と昂奮を身に宿す。妄想自慰の時と同種で、より上等の複雑怪奇な感覚にせっつかれながら、再度。智は愛妻の唇を吸った。

「ん……ふ……っぅん……」

夫の唇と重なった咲美の口腔が、ねっとりとした息を吐き出した。待ちわびていた心持ちを体現したような鼻声と、鼻息にも歓待される。おかげで、むず痒さと、面映ゆい感覚が、先にあった複雑怪奇の上に加味された。

(咲美はキスの際に絶対に目を開かない。夫である僕だからこそ、知ってるんだ)

胸内で繰り返し反復する藪沼に対する優悦感情も、滾りの種となる。誰よりも乱れた鼻息を聞かせ、意図せず咲美の意識を独り占めしつつ。長いキスを終えてすぐに、夫は右手を、そっと愛妻の腿に乗せた。

「……っ! あ……と、智?」

「うん、そうだよ……」

不安がる彼女の肌をスリスリと撫で、緊張が抜け落ちる様を堪能する。相手が夫であるからこそ、慎み深き妻は肌を許してくれているのだ、と。思うほどに優悦が高まり、姿を見せぬ藪沼に見せつけたい衝動が、抑えられなくなる。

スカートに手をかけた瞬間も。

「誰も見てない、よね……?」

夫の左腕にすがり、羞恥で真っ赤の面を頼れる胸板に摺りつけ隠して、わずかに腰を浮かせてくれた。夫の意図を察し、捲る助けとなってくれた。

「あぁ……」

肉付きのよい腿が露わとなるにつれ、彼女の身の震えが増す。撫でる夫の手にも、妻の緊張が伝わった。が、それを凌駕する恥悦が火照りと化し、伴侶の身を炙っているのもまた、切々と伝わる。

藪沼がどこに潜んでいるか知らないが、夫の胸に摺りつき甘えている咲美の体温、柔らかさは、触れずにわかるものではない。

(咲美は、僕の手で……こんなにも盛ってくれてるんだ!)

夫側の恍惚を知らせる熱の点った指先を、滑らかな腿肉に滑らせ、付け根側へと移動させてゆく。夫の意図に気づいた咲美は一瞬身を硬くしたものの──。

「ん……ふ、ぁ、ぁ……」

ほんのわずかではあったが股を自ら開き、腰を押し出して、刺激を待ちわびる。

(……ずっと夜の営みが途絶えてるから、その分貪欲になっているんだ)

現に自分がそうなのだから──言い聞かせる夫の胸に、手前勝手な妄執が再来する。これほど感じやすい状態であるなら、他の男の手に依っても肉悦を得るのでは──と。

(違う! それはあくまで僕の想像の中だけの……咲美は、そんな女じゃない!)

想起しただけで瞬時に呼応し、限度目一杯に張り詰めた肉棒の卑しさを呪う。同時に占有欲を満たすべく、腿肉を滑る指の速度は増し、ほどなく妻の股の中央に達した。

「は、ぁぁ……んっ!」

スカートを捲り上げた時点からすでにブラックライトに照らされ、目を惹き続けていた薄水色のショーツ。カーセックスした時とは異なる、無地でもなければ白でもない下着を目に留めた瞬間から、期待せずにいられなかった。

さすがにこの場で、という考えがあったわけではなかろうが──。