ヤブヌマ 侵食されゆく妻の蜜肌

「ごめん、咲美。怒ん……ない?」

「な、何っ? どういう……こと? ちゃんと、話してよ」

昨夜まで勃起不全だったペニスが、かつて以上に硬化している。数時間前にカップル喫茶の暗がりで触れた時と比較しても、段違いの熱を漲らせていた。

その理由を知りたがり、怒りを忘れた咲美が問うてくる。

「咲美が……」

──とうとう、告げる時が来た。意を決した夫の眼差しに何かを嗅ぎ取ったのか、妻もまた口を噤み。緊迫した空気の中、自然と夫婦は向かい合った。

「……咲美が、他の、男とっ……」

どうしても、声に震えが混じる。たどたどしさが際立つ。こればかりは演技でなく、未だに残る迷いと、不安。そして例の奇怪な──妄想自慰の際と同種の、歪な昂揚感。それを恥じる気持ちと、恥じるほどに強まる誘惑。複雑に絡まる情がもたらしたものだった。

「いや、正直に言うと、その、咲美が……」

「……あたし、が?」

首を傾げた咲美が、口ごもる夫をまっすぐに見つめ、話の続きを促す。

──彼女がそうしなければ。いや、そもそも最初から告げずに終えるという選択肢は、なかったではないか──。迷いを断つように首を振り、渇く口中を咀嚼させた。

(そのために積み重ねてきたんじゃないか。ここを越えさえすれば……)

下種な藪沼に咲美が抱かれている様が脳裏に思い浮かんだ瞬間。最後までねばっていた理性が、根負けしたように溶け落ちる。

腹の決まった男の声にもはや震えはなかったが、あえて言い淀むそぶりを足して発した。

「や……藪沼とっ!」

名を挙げた瞬間、咲美が「ひっ」と引き攣った。どうして今その名前をと言いたげな眼差しを差し向けてくるが、まだ引き攣りが残っているがために、うまく言葉を発せられずにいる。その機を逃すことなく、罪深き夫の告白は紡がれた。

「咲美が、藪沼と……っ、しっ、しちゃうのが、頭に浮かんでっ。そしたら……何か、すごく……昂奮っ! ……したんだ」

「……っ! な、何言って」

信じられない。信じたくない。嘘だって、今すぐ言ってよ──。涙ぐむ瞳で想いを訴えるのがやっと、なのだろう。続きの言葉を紡げずにいる愛妻の、わなわな震える唇が、庇護欲をそそる。

吸いたい──不意に生じた衝動に従い、智は改めて咲美に被さり、唇を重ねた。

「やっ! あ……っ、んんっ、ン……」

吸いついた夫の唇の熱っぽさに驚きつつも、愛妻は受け入れてくれる。

硬く隆起した肉棒を剥き出してみせ、摺りつければ、腰を揺すって身の内より生じる煩悶を素直に表してもくれる。

だからこそ、止まれなかった。

性交を断って久しい身体に、愛しき妻を求める想いが巡り、歪な心は飽くことなく、愛妻とその上司が肌摺り合わせる様を夢想し続ける。

貪るような時間は、時計の長針が二回りしてもまだ終わらず、大量の精を体内に放たれた妻が絶頂に達しても、萎えることなく持続して、二度目の、より濃厚な種汁を注ぐに至ったほど。この身で愛したいという想いと、寝取らせ願望。二乗の恍惚に煽られるがままに劣情と慕情を注ぎ続けられたことは、忘れ得ぬ記憶となって身と心に刻まれた。

(それはきっと咲美にとっても……)

事を終えた後も、彼女は複雑な表情を崩さなかったが──。

寝る間際に、少しだけ頬膨らませた表情を見せて、暴走気味の性交を詫びる夫の鼻梁を摘まみ、こう言った。

「……ヘンタイ」

蔑むでなく、なじるでもなく、拗ねた口調での可愛らしい抗議。

それを受けて夫婦の間に日常の空気が取り戻され、久方ぶりの性交を経ての心地のよい疲れも相まって、ほどなくして共に眠りの淵へといざなわれる。

咲美も確かに、久方ぶりの激しいセックスに満足していた。それでも、彼女は眠り際、念を押すのを忘れなかった。

「……智。あたし、スワッピングなんて絶対ヤだから……ね」

──いいのだ、今は。

〝嫉妬〟がスイッチになり、〝藪沼〟というキーワードが、夫を滾らせたという事実。咲美がそれを肌で覚え、意識下にも刻んだ。今はこれで充分。

焦ってはいけない。慎重を期すのだ。

早くもより濃密な悦を欲し、逸りたがる胸に言い聞かせる。寝息を立てだした妻を背に、智はすっかり眠気の飛んだ脳内で、次なる策のシミュレーションを開始した。

第三章 夫婦交換演習

藪沼夫婦との会食から数日後の、夕食時。

咲美の表情が、いつもと違うことに、智は気づいていた。元々明るい性格で、こちらが黙っていても一方的に一日の出来事を語る妻が、今晩に限っては明らかに沈んだ表情を浮かべている。

「どうしたの。何かあった?」

案ずる夫の顔をチラと見て、咲美は何事か考えこむ表情で改めて俯いてしまう。それから短く「ううん」とだけ告げた。具合が悪いのかと尋ねても、疲れているんじゃないかと問うても、同様の返答と首振りが重ねられるばかりだ。

食事を終えて智の膝の上でくつろいでいた愛娘も、心配げに咲美の表情を窺う。

(……予想以上に、効いてるみたいだ。……ごめん、咲美。智美も、ごめんな)

妻の浮かない様子の理由を知っていればこそ、智は内心で彼女と、その影響で動揺してしまっている愛娘に向けて懺悔する。

事の次第は、帰宅途中の電車内で受け取った藪沼からのメールに記されていた。