ヤブヌマ 侵食されゆく妻の蜜肌

『だから今だけは、できるだけ素直になって心を開いて欲しい。それが君たち夫婦のためでもあるんだ……わかってくれるよね?』

この言い方が覿面愛妻に効くことも、すでに過去の出来事であるDVD映像に語りかけても無駄なことも、わかっている。それでも、発せずにいられない。

「やめろ、藪沼……。咲美も……知ってるはずだろ……?」

──奴は、お前とやることしか考えてない、下種だ。そのための方便に過ぎない!

──その方便を与えたのは、僕だ。僕こそ、奴以下のクズじゃないか。

願いと、自虐。二重に苛まれる夫の見つめる先で、覚悟を表情に宿した妻が頷いた。

『そこに立って、脱いでくれないか』

攻め所を逃さぬ野獣が、一気呵成に仕掛ける。

咲美は瞑目し、祈るように、しばらく無言で佇んでいた。

(どうか、そのままで)

夫の願い空しく、そろりと彼女は立ち上がる。意を決したその手が自ら浴衣にかかり、帯を解いた。そして、はらりと前がはだけた瞬間。否応のない股間の疼きに苛まれる。期待しているという現実を、もはや認めぬわけにはいかなかった。

息を呑む夫を挑発するように、身震いし、尻を揺らした妻の白い肩から、浴衣がずり落ちる。その下に纏っていたのは、上下共に無地の白下着。彼女が乗り気でないのを示す、何よりの物的証拠。

『ほおっ』

そんな事情など知る由もなく、咲美の正面に立った藪沼が感嘆の声を上げた。

驚き怯えた咲美が後ずさったために、彼女の腰から下はフレームアウトしてしまう。その間に屈んだ彼女がブラを外し、次いでショーツまでをも脱ぎ落とす。

『いいよ、いいっ。さっきの僕の言葉を理解してくれて、嬉しい限りだ』

躊躇いを振りきるように脱衣したのを、焦らしとでも受け取ったのか。藪沼が盛りのついた声で褒めそやす。

(違う! 咲美はお前を悦ばす意図で脱いだんじゃない、断じてない!)

──覚悟を決めているから。一度決めたことはやり抜く人だから。

──理由はどうあれ、藪沼とヤるために脱いだことに変わりはないさ。

「くそっ……黙れ……!」

内なる己に当たり散らしつつ、巻き戻し、コマ送りする。

──咲美の表情をこの目で観て、確かめたいんだ。

──咲美の胸と腰に目を向けていたくせに。咲美の裸を藪沼が独り占めしてる、ってのを、自分の目にも焼きつけることで否定したかった。そうだろう?

いずれにしても、望んだものは得られなかった。ブラを外す際開いた腋から覗くのを期待した、横乳さえ観られず。二重三重に落胆した分、苛立ちも倍々に募る。

結局、画面越しの夫には、焦燥煽る衣擦れの音と、しなやかな背中だけが餌として与えられた。

『綺麗だ。綺麗だよ、アサオカちゃん! 思い描いた通りの、素晴らしい身体だよ』

ただ一人、咲美の裸体を隅から隅まで眺め尽くすことの許された男、藪沼が、よだれを啜りながら、吠え盛る。すでに前屈みの奴の姿勢から、昂奮ぶりが嫌でも伝わる。

咲美は、声に出しこそしないものの、我が身を抱いて怯えていた。歪んだ表情が、泣き出したがっているように見えた。

(なのに、僕は……)

──妻が汚されゆく様を、歯痒い思いで観ているしかない。

──早く、続きを観たくて歯痒いんだろう?

『で、電気を消し……』

混濁する感情の波に漂流する夫の意識を引き戻したのは、震え、それがゆえに艶めいて感じられる咲美の声音。

(あ……っ!)

引き寄せられるようにして見つめた夫の眼に、妻の裸身に正面から覆い被さる男の姿が飛びこんできた。と同時に心臓に、ぎゅっと掴まれたような痛みが奔る。

『やっ!』

『力を抜くんだ』

嫌悪をも露わに振りほどこうと暴れた咲美に、抱きついた藪沼が囁く。

『大丈夫、すぐに終わる』

紡がれた一言一句を呑みこむかのように、咲美の喉が鳴る。そうして、観念したように力の抜けた裸身に、いやらしい男の指が這い始める。

相変わらず画面には咲美の背中側、腰から上しか映っていない。視聴者は、ただただ奴と咲美の挙動から細部を察する、想像で補う他なかった。

『すばらしい、すばらしいよ』

藪沼の手が咲美の背中側に回っている。おそらく、尻を撫で回しているのだ。初めて言葉を交わした夜、水商売の女性にそうしていたような手つきで──。想像すると、あの夜の水商売女性の男に媚びる表情と腰つきまでもが思い出された。

『……や、ぁ……っ、ぁうっ……』

そこに煩悶する妻の声音が被さることで、まるで彼女が今まさに藪沼に媚びているような錯覚に陥ってしまう。

『柔らかい。吸いつくようだよ。それに、子どもを産んだとは思えん張り。最高だ』

批評しながら這う奴の手が、咲美の背を伝って前に回る。留まることなく、今度は肩口からゆっくりと滑降していった。

『……や、ぁっ……!』

大きく感応した咲美の様子と、藪沼の手つきから、どこに触れているのか、すぐに見当がつく。藪沼の細目が大きく見開かれ、荒い鼻息を咲美の横っ面に吹きつける。むずかった直後に、また咲美が吐息と身震いを連ねた。

『ほお……ここ、乳首が特に感じるんだね、アサオカちゃんは』

ちゃんと覚えておくからね、と続けて告げる男と、向き合えずにいる妻。背けられた彼女の顔が、羞恥に染まっている。小さく開いた唇が、パクつきながら吐息を──喘ぐようなリズムで、こぼしていた。