ヤブヌマ 侵食されゆく妻の蜜肌

にんまりと桂子が笑う。その笑みの内に親切心以外のなにかが潜んでいるのに、場の誰もが気づいていた。

「ちょ、ちょっと……! 桂子さんっ」

さすがにやり過ぎだ。そう、吊り上がった咲美の目が訴える。友人を夫から引き離すべく立ち上がろうとした咲美を引き留めたのは、またしても藪沼の、肉厚で野卑な手だった。

「まだ! まだだよアサオカちゃん。せっかくご主人が立ち直りかけてるんだ。あともう一息の辛抱ってこと。ねっ?」

引き留め工作をしているつもりの奴の瞳には、獣欲の盛りがギラつきとなって表れている。触れ合ううちに辛抱堪らなくなったのが誰の目にも明らかだ。

(こんな、こんなっ……咲美を性欲の捌け口としか見てない野郎に僕はっ!)

自己嫌悪が高まるほどに、股間の熱も、鼓動も強まってゆく。吐き気をもよおし、えずくたび、ズボンの内で男根がヒクつき、喜悦を吐き出したがる。

牡の卑しい衝動は、ズボン越しに触れている桂子にも筒抜けだ。

「ほら座って! もっと、ご主人が嫉妬してくれるようなスキンシップを……ね?」

「きゃっ! や、やだっ」

恍惚にのたうつさなかにあっても、愛妻の悲鳴に惹きつけられて、しかと視認した。

藪沼の手が、咲美の太腿に乗ったばかりか、掌を摺りつけるようにして撫で回している。ジーンズ越しの刺激を受けた咲美は背を震わせ、堪えるように唇を噛んでいた。羞恥を鮮明にする妻の表情と身ぶりに、思わず夫の目が魅入られる。

その間も、藪沼の手指は侵略を続ける。蜘蛛の足のごとき様相で腿肉の上を這い進み、咲美の股の付け根へと迫ろうとした。咲美は当然両足を閉じきり、腰を揺すってまで抵抗を示したものの。

ヤブヌマ 侵食されゆく妻の蜜肌 ヤブヌマシリーズ

「あ……っ!? や、ぁあっ」

鼠蹊部あたりをスリスリと指腹でくすぐられて、甲高い、切なさと嫌悪の混ざった声を上げさせられてしまう。

(……ッッ、藪沼ぁぁっ!)

図々しくも巧みに女の性感を炙る藪沼への怒りと嫉妬。あえなく快楽を引き出されようとしている妻への嘆き。それらが織りなすことでより膨らむ、歪な欲望。

諸々を無理矢理に呑み下した結果。入れ物の容積を超えた水が溢れるがごとく、胸を拍動、喉を吐き気、頭を眩暈、いずれも異常な勢いで溢れた衝撃を浴びせられた。耐えきれようはずもなくテーブルに突っ伏した智の口から、幾度もえずきがこぼれる。

「ちょ、ちょっと旦那さん。大丈夫?」

不測の事態に際し、ズボン越しの男根をまさぐる手つきはそのままに、桂子が惑いの声を上げた。

「智っ!」

さすがに藪沼の制止を振りきり立ち上がった咲美が、駆け寄ってくる。まだ奴の温みが残る肩を寄せて、奴の汗が染みた手で夫の頬に触れ、顔を寄せて覗きこんでくる。

その際、正面から対峙した彼女の顔が紅潮しているのに気づかされ、また智の喉奥から酸っぱいものがこみ上げた。

(あいつに撫でられたせいで……? そうなのか? 咲……美ぃッッ!)

瞬く間に攻め上がってきたそれを、慌てて飲みこもうとするも、間に合わず。突っ伏した状態で背を弾ませ、大量にテーブルの上にぶちまける。

もはや到底「お試し」を続けられる状況ではなく。渋顔の藪沼をよそに桂子が発した、「タクシー呼んだので、旦那さんを運びましょう」との言葉で幕が下りた。

「本当に大丈夫なの?」

屋外に出て早々、愛妻が尋ねてくる。彼女の胸には、何も知らず眠る愛娘が抱かれ、安らかな寝息を立て続けていた。

「ああ、もうずいぶん収まってきたから。一人で立てるよ。心配かけて……ごめん」

──こんなことにつき合わせて、ごめん。

──それでもなお卑しい願望を諦められないでいる、駄目な夫でごめん。

数多の意味を孕んだ謝罪を口にしつつも、徐々に股間から遠のいてゆく恍惚を名残惜しく感じている。最低の夫だ──また自虐が胸を衝く。なのに後悔の念は終ぞ湧かなかった。

咲美の内腿を滑った藪沼の指先が、あわやジーンズの股座へと至らんとした時、堪えきれずに放った我慢汁のせいで、今もトランクスの内側、特に股間周りがベトベトだ。ズボンに染みてはおらず、外見からは判別されないのがせめてもの救いか。しかし、匂いで気づかれる恐れはある。

ほどなくやって来たタクシーに乗りこむ際も、そのことばかりが気になった。

帰宅後。娘を子供部屋に寝かせ、シャワーも浴び終えた咲美が、バスタオル一枚身に巻いた姿で寝室の鏡台に腰下ろし、髪を梳かしていた折。ふとした拍子に、夫妻の目が合った。互いに何か紡がなければとの想いに駆られたが、しばしの静寂を経由する。そして、先に耐えきれなくなった咲美が、大きく息を吐いた後に口火を切った。

「智は……どんな気分だったの?」

藪沼に触れられるあたしを見て、との冠詞がつく問いであることは即、察せられた。夫の突如の不調の原因がそこにあることも、咲美であれば気づいているはず。

また、先ほど自宅の固定電話にかかってきた通話の内容が、彼女の気持ちを後押ししているだろうことも、想像に難くなかった。通話相手である藪沼が受話器向こうで発した台詞は、

『また今度、温泉旅行でもご一緒しませんか』

それは智の立てた筋書きに沿っての連絡に過ぎなかったが、あまりにもタイミングが悪過ぎた。今晩のことを思えば日を改めても良かったはずなのに、藪沼の、気が急いているがゆえの無配慮が裏目に出た。